前回(昨日)は、島田駅近くで島田刀鍛冶の向かいのルートイン島田駅前に泊まりました。大浴場付きで前日のウォーキングの疲れも癒し、朝からバイキングで、がっつり食べ、東海道53次のガイドブックを片手にウォーキング開始しました。
前日は、大井神社で終了しましたので、大井神社を横に歩き、鐘が有名な大善寺を過ぎ、川越遺跡の標識がありますが、新東海製紙に沿って右の道に行きました。
川越人足の人数管理等した立会宿跡、関川庵、札場、川を渡るための川札を買う場所の川会所、浄瑠璃で朝顔の松があります。
ここで大井川にぶつかります。江戸時代は、ここで人足にお金を支払い大井川を渡ったのですが、もちろん私達は、川沿いを歩き大井川橋を渡り金谷に向かいました。
金谷宿は、島田宿と同じように川越の業務で栄えました。橋を渡ると川沿いを少し歩き、右に曲がり、水公園、本願寺顕如草創の地である西照寺、佐塚本陣跡、柏谷本陣跡を通り、JR金谷駅の手前に53番目の一里塚の金谷一里塚跡がありました。
東海道線のガードレールをくぐり、これからは、上りで金谷宿から日坂宿に向かいます。
コンクリートの坂を上り、県道を横切り、金谷石畳に入り石畳茶屋がありました。
石畳茶屋でトイレ休憩し、ここを過ぎると、鶏頭塚と庚申塔や六角堂地蔵尊があります。六角堂地蔵尊は、ここの石畳はすべらないという特徴から「すべらず地蔵」と言われ、この日は、お祭りが行われていて多くの受験生と思われる学生がお参りに来てました。
石畳を上り、芭蕉句碑を右に一般道に入り、現在建築物はありませんが武田勝頼により築かれた諏訪原城跡、諏訪神社がありました。
その後は菊川坂石畳を下り、菊川に入り菊川の里がありました。
ここを過ぎると東海道の中でも大変急で難所であった峠を上り小夜の中山に着きました。大変苦しい上りで人家も途中あり子供は毎日徒歩で学校行っているのかと本当に思いました。
接待茶屋跡、久延寺、夜泣石、扇屋、西行歌碑が近くにあります。
その後しばらく歩き、54番目の佐夜鹿の一里塚跡、鎧塚がありました。
江戸時代、急な坂道を上り休んだであろう涼みの松があります。ここで一休みした後、江戸からは下りですが難所の二の曲がりとなり、ここを過ぎると、次の宿場日坂宿に入ります。
日坂宿は、京都からくる場合、難所の二の曲がり峠を控えた宿で東海道では3番目に小さい宿でした。宿に入ると秋葉常夜燈、本陣跡が整備されその後道沿いに問屋場跡、黒田脇本陣跡、身分の高い武士や公家が泊まった川坂屋、高札場跡、そして宿の出口の下木戸跡がありました。
日坂宿を出るとすぐに事任八幡宮があります。こちらは、「思いのままに願い事が叶う」神社として知られ、大杉は、坂上田村麻呂が植樹したと伝えられ、県の天然記念物に指定されてるとのことです。家内はこちらでご執印をいただきました。
この後は、近くに道の駅があるということで少々歩き道の駅掛川に立ち寄りました。こちらは、大変栄えていて人がいましたが、ランチの時間も過ぎ、すぐにとろろ汁の付いたそばとかき揚げ丼のセットを食べることができました。道の駅でと言っては失礼でしたが大変美味しかったので、調べたところ遠州蕎麦の本格的な蕎麦を出す店でした。
ランチを食べた後、東海道に戻り、しばらく歩き掛川バイパス過ぎ、日本橋から57番めの伊達方一里塚がありました。
さらに歩き次の58番目の葛川一里塚ありました。こちらを過ぎると東海道は南に折れいくつも折れ曲がる七曲りに入り、その終点が掛川宿の入である木戸になります。
掛川宿は、掛川城の城下町で本陣2軒、旅籠30軒等あり栄えました。宿に入り、高札場跡、本陣跡を通り、本日は、掛川駅近くの山内一豊・千代夫人像で終了としました。
簡単にストレッチをして静岡駅まで東海道線40分乗り、新幹線に乗り換え帰途に着きました。