昨日は、最近出来たばかりで、温泉大浴場のあるスーパーホテル安城駅前に泊まりました。無料の健康朝食が付いていて朝風呂に入り髭を剃り、8時過ぎに出ました。スーパーホテルは、チェックアウトの手続きいらずで便利です。南安城駅まで8分程歩き、名鉄で新安城駅に向かい、10分ほど歩き、昨日の終点の青麻神社の先の交差点に行きました。軽くストレッチし、今回もこちらのガイドブック片手にウォーキング開始です。
しばらく道なりに歩き、猿渡川を渡ると無量寿寺道標、そして、両脇に現在も当時の面影を残す江戸から84里目の来迎寺一里塚がありました。
さらに進むと、池鯉鮒碑、約500mに170本の松がある池鯉鮒松並木、小林一茶句碑、馬市之址碑がありました。
松並木を過ぎ国道1号線を渡り、次の宿場池鯉鮒宿になります。
池鯉鮒宿は、江戸から数えて四十番目の宿場町で、本陣1軒、脇本陣1軒、旅籠35軒という規模でありました。
また、 池鯉鮒(ちりゅう)宿という名は、知立神社(池鯉鮒大明神とも称する)の御手洗池に、鯉や鮒が多くいたことに由来するということです。
県道を右に入り、問屋場跡、そして県道側に回り込んで本陣跡、知立城址がありました。
その後、少々道に迷いましたが、知立神社に立ち寄りました。
池鯉鮒宿をでて逢妻橋を渡り、国道1号に合流し、刈谷市に入り歩くと一里山一里塚がありました。
しばらく道なりに歩くと、洞隣寺、いもかわうどん、乗願寺、乗蓮寺とお寺が続きます。
伊勢湾岸自動車道の高架下をくぐり、名鉄豊明駅を横にさらに進み、江戸から86里目で、今も両塚を残している阿野一里塚がありました。
名鉄前後駅を過ぎ、熱田の踏切事故で責任をとって川に身を投げた野村平吉君殉職之碑がありました。その後、かつやでランチをとり、中京競馬場前駅の近くの桶狭間古戦場跡に立ち寄りました。
こちらでは、ボランティアガイドの方よりお話を聞き、今川方から見た桶狭間について聞きました。時間が、あまりなかったため、急ぎになってしまいましたが、大変お勧めです。
桶狭間のボランティアガイドの方に東海道を歩いて鳴海方面に行くと話すと有松は、おすすめと言われ、国道1号に戻り歩き、途中大将ケ根の信号を国道1号から右に行かなければならないところ進んでしまい、有松交番前の信号まで歩き、戻ることになってしまいました。
有松は、尾張藩により有松紋りの営業独占権が与えられました。有松山車会館、往時をしのばせる古い民家服部家住宅、中升竹田荘、岡家住宅、少し進むと有松天満社があり、ここを過ぎると、江戸から87里目の有松の一里塚跡がありました。
有松を抜け、常夜灯、川を渡り瑞泉寺が、ありました。その後、ガイドブックで、鳴海宿の入口にあたる枡形が記載された場所は、接骨院の辺りで名鉄鳴海駅ぐ近く本日は終了としました。回数券があるので、浜松から新幹線を乗るため早めに終了です。
今日は、ここから名鉄鳴海駅へ行き、駅でストレッチをし電車を待ちました。