東海道53次を完遂し、早1年超経ちました。コロナ禍でいろいろありましたが、今般中山道69次ウォークを再開することにしました。前回は、日本橋から蕨宿まで歩いたのですが、ちょうど3年前のゴールデンウィークの2019年5月5日でした。
今日は、JR蕨駅まで行き、前回終了した蕨市立歴史民族資料館まで歩きました。
歴史民族資料館は、祝日は、休館で外から写真だけ撮りました。少し進むと本陣跡がありました。
その後、蕨宿の出口で京側の入口の上方木戸跡がありました。
蕨宿を出た中山道は、17号を横切り浦和宿に向けて北上します。宝蔵寺、境橋、十六橋を過ぎ、日本橋からから五里目の辻の一里塚跡が公園のあたりにありました。
東京外環道をくぐり、熊野神社等を過ぎ、さらに進み、17号をまた横切り上りとなると当時の難所焼米坂ごありました。
さらに進み、調神社がありました。大きな神社で家内は、こちらで御朱印をいただきました。
その先浦和宿に入ります。江戸に近いこともあり当時は、小さい宿場のようで現在も碑があるくらいであまり面影はありませんでした。
浦和宿から次の大宮宿までは、平坦な道を歩き、浦和橋を渡ってサツマイモの紅赤(通称金時)の発見者の菩提寺の廓信寺、浦和と大宮の中間にある半里塚のケヤキ、お女郎地蔵などがありました。
都市開発が進むさいたま新都心を過ぎ、氷川神社の一の鳥居を右に見ながら街道を進みました。江戸以前は、この鳥居をくぐって参道を通っていたようです。中山道を歩くのが目的のため、氷川神社へは、裏参道から行くことにしました。
氷川神社の門前町の大宮宿は、浦和宿同様に大きな宿場ではないようでしたが、脇本陣の数が9軒と、中山道で最も多かったそうです。こちらも現在は当時の面影はありませんでした、
脇本陣が現在の丸亀ビルの辺り、涙橋、高札場跡が川鍋ビルの辺り、紀州鷹場本陣跡は高島屋の辺り、白倉本陣跡はキムラやの辺り、山崎本陣跡は岩井ビルの辺りにあったそうです。大宮の大戸屋で昼食を済ませてさらに進みます。
JR・東武線の高架下の手前を左に曲り氷川神社を裏参道からお参りすることにしました。家内は、こちらでも御朱印いただきました。
来た道を戻り、JR・東武線の高架下をくぐりしばらく道なりに進みます。菅原道真を祀った天満宮、庚申塔(大宮~上尾には庚申塔が多くありました。)、加茂神社、南方神社、粕漬の老舗河村屋、大きなイオンモールがありました。
上尾陸橋あたりから上尾宿に入り、愛宕神社を過ぎ江戸から九里目の上尾の一里塚が原内科の辺りにあったそうです。
上尾宿は、江戸を出発し最初に泊まる宿だったようですが、安政の大火でほぼなくなってしまったよう
です。その中で井上脇本陣の鬼瓦が駐車場奥にありました。
上尾宿の総鎮守の氷川鍬神社、本陣跡、JR上尾駅を左にさらに進み庚申塔、上尾宿の京口に中山道上尾宿碑がありました。
上尾宿から桶川宿まで、4キロ弱なので桶川駅まで今日は、行くことにしました。庚申供養塔を過ぎ、富士見町交差点を渡り、江戸からの入口桶川宿木戸跡碑があり、ここから桶川宿に入りました。
桶川宿に入り国の有形文化財に指定された武邑旅館がありました。かなり古い建物ですが現在も営業しているようでした。