虎キチのお城グルメ旅巡り

タイガースファンの気まぐれ城グルメ旅巡り

続日本100名城24回目 志苔館(北海道)(2022年9月2日)


①  日時 2022年9月3日
② 場所  JR函館駅から函館バス下海岸線(91・91A・91C系統)[4]「志海苔」停留所下車、徒歩約5分。

〒042-0923  北海道函館市志海苔町

③ コメント
日本100名城の101番です。

この日は、ゴルフをする予定で、その途中に志苔館はあるので立ち寄ることにしました。ホテルをチェックアウトし、レンタカーで湯の川温泉を過ぎ、函館空港の裏手にありました。カーナビをセットして行ったのですが到着地点で見つからずその先の公園の駐車場に止め探すことにしました。道を戻るとカーナビで示した場所から横に入ったところに広い敷地が見え碑がありました。

f:id:Tigers1223:20220922203206j:image

すぐに志苔館の説明の看板がありました。こちらは、15世紀に和人によって築かれた館です。

f:id:Tigers1223:20220922204109j:image

中に入ると広い敷地になっており、外敵からの防御をための郭外遺構、建物のあった郭内遺構がありました。
f:id:Tigers1223:20220922204206j:image
f:id:Tigers1223:20220922204144j:image
広い曲輪の中に並ぶコシャマインの戦いで命を落とした小林良景の記念碑と、志苔館の保存に貢献した宇賀小学校校長・留目政治先生の頌徳碑がありました。最初何かと思い調べました。

f:id:Tigers1223:20220926190851j:image

広大な曲輪とそこからの景色です。

f:id:Tigers1223:20220926191019j:image
f:id:Tigers1223:20220926191041j:image

スタンプは、あずまやという休憩所のような所にありました。その前にトイレもありました。

f:id:Tigers1223:20220926191551j:image
f:id:Tigers1223:20220926191600j:image
f:id:Tigers1223:20220926191556j:image

 

ja.wikipedia.org

 

 

以下、函館市HPからの引用です。
志苔館が記録に登場するのは,松前藩史書新羅之記録」中で,長禄元(1457)年の項に,「…長禄元年五月十四日夷狄蜂起来而,攻撃志濃里之舘主小林太郎左衛門尉良景…殺狄之酋長胡奢魔允…」と康正2(1456)年からの「コシャマインの戦い」により館が陥落したことが記述されています。さらに,永正9(1512)年の項にも,「永正九年四月十六日宇須岸志濃利與倉前三舘所攻落夷賊…小林太郎左衛門尉良景之子彌太郎良定…」と再度アイヌとの戦いにより館が陥落した記述がみられます。しかしこの後は,館主であった小林氏が松前藩に従属したといわれ,志苔館が記録上に登場することはなくなり,事実上廃館となったものと推定されています。

④ スタンプの場所

史跡内あずまや

f:id:Tigers1223:20220921185508j:image
f:id:Tigers1223:20220921185441j:image

⑤ その他

少し離れたところにある公園の駐車場に止めるのをおすすめします。

 

 

www.city.hakodate.hokkaido.jp

 

 

日本100名城41回目五稜郭(北海道)(2022年9月2日)

① 日時 2022年9月2日
② 場所 JR函館本線 函館駅下車。路面電車湯の川行きでは五稜郭公園前下車、徒歩10分。函館バス五稜郭行きでは五稜郭公園入口下車、徒歩約5〜10分。
〒040-0001 北海道函館市五稜郭町44
③ コメント
日本100名城の2番です。

日本100名城上ノ国町の勝山館からレンタカーで五稜郭に来ました。当初、カーナビをセットしたところ閉館の17時までに見終えることが難しいかと思っていたのですが、新しく木古内から無料の高速道路が出来ており想定より早く函館に着き、五稜郭に寄ることができました。五稜郭は、一般の駐車場がなく、近隣の美術館の駐車場に止めました。北海道は駐車代が安いのでいいですね。

駐車場から五稜郭タワーを横に進み、五稜郭の中に入っていきました。

箱館戦争五稜郭の説明がありました。

f:id:Tigers1223:20220915184625j:image

箱館奉行所の看板です。

f:id:Tigers1223:20220915184651j:image
f:id:Tigers1223:20220915184647j:image

土塁・石垣です。

f:id:Tigers1223:20220915184713j:image

緑鮮やかなトンネルの中を行きます。

f:id:Tigers1223:20220915184748j:image

箱館奉行所が見えて来ました。蝦夷地における政治の中心でした。

f:id:Tigers1223:20220915184809j:image

箱館奉行所の反対の板庫の休憩所にスタンプがあり、お店の人にお願いしてスタンプを押しました。(写真とるの忘れました。)

緑鮮やかです。

f:id:Tigers1223:20220915185135j:image

休憩所の横から五稜郭タワーを撮りました。

f:id:Tigers1223:20220915185222j:image

五稜郭です。上から見ないとわからないですね。

f:id:Tigers1223:20220915185342j:image
f:id:Tigers1223:20220915185313j:image
f:id:Tigers1223:20220915185337j:image
f:id:Tigers1223:20220915185420j:image

最後に五稜郭タワーの1階に展示してあった土方歳三です。

f:id:Tigers1223:20220915185806j:image
f:id:Tigers1223:20220915185802j:image

以下、北海道公式観光サイトのHPからの引用です。

五稜郭は、稜堡(りょうほ)と呼ばれる5つの角がある星形の五角形になっており、この珍しい形は、16世紀頃のヨーロッパで考案された「城塞都市(じょうさいとし)」をヒントにしたもので、同様な形状の城跡は、日本では函館五稜郭と長野県佐久市龍岡城五稜郭の2か所だけと、大変貴重な建造物です。

 

明治元年(1868年)の戊辰戦争の最後の戦いとなる箱館戦争の舞台となり、榎本武揚が率いる旧幕府脱走軍が占拠しましたが、明治新政府軍の箱館総攻撃が始まり、救援に向かった新撰組副長の土方歳三も銃弾に倒れるなど次第に形勢不利となっていきます。また、五稜郭鎮守府の役目を担っていた東照宮を守備するために脱走軍が急造した四稜郭も僅か半日ほどで陥落し、脱走軍の敗北は決定的なものとなりました。

 

昭和27年(1952年)に北海道唯一の国指定特別史跡となり、「五稜郭箱館戦争の遺構」として北海道遺産にも選定されています。約12万5千平方メートルと東京ドームの約3倍の広さがある五稜郭のすぐ横には美しい五稜の形を上から眺められる五稜郭タワーがあり、「箱館五稜郭祭」などイベント会場にもなっているなど、函館を代表する観光地になっています。

ja.wikipedia.org

 

  

 

④ スタンプの場所

箱館奉行所付属建物「板庫(休憩所)」

f:id:Tigers1223:20220915185900j:image
五稜郭タワーチケット売り場

f:id:Tigers1223:20220915185935j:image

日本100名城に行こう 公式スタンプ帳つき

日本100名城に行こう 公式スタンプ帳つき

  • 発売日: 2012/04/10
  • メディア: 単行本
 

⑤ その他

過去に五稜郭タワーには上ったことがありましたので今回は、下で写真を撮りました。

f:id:Tigers1223:20220915185517j:image

www.goryokaku-tower.co.jp

 

続日本100名城23回目上ノ国勝山館(北海道)(2022年9月2日)

① 日時 2022年9月2日
② 場所  JR函館駅からは、木古内駅(バス・鉄道利用)または江差ターミナル(バス)経由 

〒049-0601  北海道檜山郡上ノ国町勝山
③ コメント
日本100名城の101番です。

この日は、朝にJR木古内駅でレンタカーを借りて、松前城に寄り、こちらに来ました。カーナビでスタンプのある勝山館跡ガイダンス施設を指定し、向かいました。日本海沿いを進み風が強い地域なのか風力発電が多数ありました。松前町から1時間超で着きました。平日なので閑散としており駐車場には車が2台止まってましたが施設の人のでしょうか。

www.town.kaminokuni.lg.jp

勝山館跡ガイダンス施設に入り、スタンプは、受付にありました。スタンプを押して入場料200円を払い施設に入りました。

f:id:Tigers1223:20220914182232j:image

すぐに年表が有りました。こちらを見て、時代背景の確認です。

f:id:Tigers1223:20220914182721j:image

中世後期の道南と北東北です。

f:id:Tigers1223:20220914182934j:image

江戸時代の上ノ国勝山館の説明などがありました。またこちらを統治した武田信広のことも書かれてました。

f:id:Tigers1223:20220914183411j:image

f:id:Tigers1223:20220914183416j:image
f:id:Tigers1223:20220914183405j:image

発掘された後や当時のパノラマです。

f:id:Tigers1223:20220914183608j:image
f:id:Tigers1223:20220914183613j:image
f:id:Tigers1223:20220914183552j:image

上ノ国は和人とアイヌの里らしいです。
f:id:Tigers1223:20220917163422j:image

ja.wikipedia.org

 

以下、上ノ国町HPからの引用です。
勝山館は、後の松前氏の祖である武田信廣が15世紀後半に築いた山城で、16世紀末頃まで武田・蠣崎氏の日本海側での政治・軍事・交易の一大拠点でありました。
 20年以上行われてきた発掘調査により、中国産青磁白磁・染付、国産の美濃焼越前焼など約5万点の陶磁器や、金属製品、木製品など10万点余りの出土品や建物・井戸・空壕・橋などの跡が多数見つかり、館内での様々な暮らしぶりがよみがえりました。
 さらに、近年、調査・研究で明らかになってきた直下の町場の様子と併せて「中世都市」と呼ぶにふさわしい景観が見えてきました。
 また、今一つ注目すべきことは、当時アイヌの人々が使っていた500点余りの骨角器が出土していることです。中世史研究の第一人者故網野善彦氏は「この館にアイヌと本州人が混住していたことはほぼ明らかといってよいのではないだろうか。」(「日本海と北国文化」『北国の社会と日本海小学館刊)と述べております。

④ スタンプの場所

勝山館跡ガイダンス施設

f:id:Tigers1223:20220914182347j:image

上ノ国町教育委員会(ガイダンス施設が休みの時はこちらで押せるようです。)

f:id:Tigers1223:20220914182415j:image

 

 

www.town.kaminokuni.lg.jp

城巡りのランチで日本一と評判ののり弁(海苔だんだん)を松前町のレストラン矢野でいただきました。(2022年9月2日)

 

① 日時 2022年9月2日
② 場所 JR木古内駅よりでバスで松前城下車

tabelog.com

 

  ③ コメント
北海道新幹線のJR木古内駅からレンタカーを借り、日本100名城松前城を見た後に駐車場のすぐ近く温泉旅館矢野付設のレストラン矢野にランチに来ました。


f:id:Tigers1223:20220913193907j:image

お昼過ぎの13時頃に来ましたが、店内は、ほぼ満席でしたが入り口近くの席が空いておりこちらに座りました。

こちらの店は日本一ののり弁とも言われ、松前海苔だんだんという名前です。また、松前町は本まぐろで有名な大間と同じ海ですので本マグロも有名です。

私は、海苔だんだんに決めてましたが、メニューは、見ることにしました。値段は1,380円でのり弁でこの値段は高いとは思いますが、名物で前評判高いのでたのみました。

f:id:Tigers1223:20220913193938j:image

また、家内は本まぐろ御膳をたのみ、こちらも名物のアワビの刺身を分けて食べることにしました。

しばらくすると海苔だんだんが運ばれて来ました。通常ののり弁のようにフライやちくわがのってません。お重に2段の海苔のみが中と表にぎっしりのり、こちらの旅館お手製の松前漬け、しぞわかめ、香の物、お汁が付いてきました。こちらの海苔は天然の岩海苔でお重を開けると海苔の風味が伝わってきます。

f:id:Tigers1223:20220913194015j:image

f:id:Tigers1223:20220913194200j:image

口の中に入れると海苔の食感、風味ともに通常の海苔とは全く異なり、口の中に広がっていきました。

アワビは蝦夷アワビということで、コリコリした食感でこちらも新鮮でとても美味しかったです。

f:id:Tigers1223:20220913194050j:image

松前城往訪のおりにはランチにおすすめです。ただ、店員さんが不愛想なのが残念でした。

www.matsumae-yano.com

日本100名城40回目松前城跡(北海道)(2022年9月2日)

① 日時 2022年9月2日
② 場所 JR江差線 木古内駅から函館バス松前行きで松城下車、徒歩約10分
〒049-1511 北海道松前郡松前町松城144
③ コメント
日本100名城の3番です。

新幹線で東京駅から木古内駅まで行き、レンタカーを借りて松前城に来ました。

f:id:Tigers1223:20220905173533j:image

カーナビをセットし、松前城の駐車場に車を停め、城に上っていきました。

すぐに福山城の看板がありました。松前城ではなく福山城と呼ぶのが正式のようです。

f:id:Tigers1223:20220905173600j:image
f:id:Tigers1223:20220905173556j:image

坂を上り終えると城が見えてきました。この立派な木は松でしょうか。

f:id:Tigers1223:20220905173623j:image

門をくぐり、松前城資料館入城券売り場がありました。こちらで360円支払い、その後100名城のスタンプを押しました。

f:id:Tigers1223:20220905173656j:image
f:id:Tigers1223:20220905173649j:image
f:id:Tigers1223:20220905173652j:image
f:id:Tigers1223:20220905173659j:image

中に入ると松前町の地勢の説明がありました。

f:id:Tigers1223:20220905173737j:image


最初の蝦夷島主になった蠣崎慶廣(後の松前氏)と松前藩設立の前の松前についての説明がありました。
f:id:Tigers1223:20220905175656j:image

その後松前藩の設立、お城について、当時の城の図、街並み等展示されてました。

f:id:Tigers1223:20220905175729j:image

f:id:Tigers1223:20220905175752j:image
f:id:Tigers1223:20220905175749j:image
f:id:Tigers1223:20220905175756j:image

松前城からの街並みが見えました。

f:id:Tigers1223:20220905175818j:image
津軽海峡が良く見えます。

f:id:Tigers1223:20220905175832j:image

城を降りて松前城の写真スポットがありました。

f:id:Tigers1223:20220905175850j:image

本丸御門もありました。
f:id:Tigers1223:20220905175918j:image

後に支配した武田氏の系図がありました。

f:id:Tigers1223:20220905175944j:image

隣接している松前神社にもお参りしました。

f:id:Tigers1223:20220905180000j:image
f:id:Tigers1223:20220905180004j:image

以下、松前町HPからの引用です。

松前家の前身蠣崎(かきざき)氏は、大館を拠点とし、5世慶廣(よしひろ)のとき、豊臣秀吉徳川家康によって大名に列せられ、姓を松前と改めた。初代藩主となった慶廣は、慶長5年(1600)大館の南方にある、福山台地に新城(福山館)を築き、6年の歳月を費やし、慶長11年(1606)に完成した。
嘉永2年(1849)、幕府は蝦夷地近海に出没する外国船に脅威を感じ、要害を固めるよう、17世崇廣(たかひろ)に特旨をもって築城を命じた。 崇廣は、翌3年、高崎藩の兵学者市川一学に設計させ、家老松前内蔵廣当(くらまさひろ)を総奉行として(のちに家老下国安芸崇教があたる)工事に着手し、5年の歳月を経て、安政元年(1854)新城が竣工した。
新城の面積は23,578坪(蝦夷実地検考録)。本丸、二ノ丸、三ノ丸、城門16、三重櫓1、二重櫓3、渡櫓門3、多聞櫓2を備え、特に海岸に近い三ノ丸には台場7基を配備した。
竣工とともに、幕府目付堀織部正利熙(ほりおりべのしょうとしひろ)らが新城を検分し、福山城と呼称され、我が国において最北に位置する、最後の日本式城郭となった。
明治元年(1868)10月、幕府脱走軍は、榎本釜次郎武揚(えのもとかまじろうたけあき)を首領として蝦夷地(現森町鷲ノ木)に上陸した。さらに五稜郭を占拠し、その後、かつての新選組副長土方歳三を長とする陸軍隊・額兵隊(がくへいたい)の主力が、福山城へ向けて進撃を開始した。松前藩は死力を尽くして防戦したが、遂に落城し、城内の一部と寺町を焼いて敗走した。 明治2年(1869)4月には、幕府脱走軍の占拠する福山城を官軍が奪回するなど、2年間にわたる戦禍は、城下町の3分の2を焼き、城内にも大きな被害を与えた。
明治5年になって、開拓使の治政下に入り、同6年9月、黒田次官の裁決を仰いで福山城の取り壊しを決定し、同8年までには、三層天守、本丸御門、本丸御殿を残し、他の建物、石垣を取り壊し、濠を埋めて、城郭の形態を失うに至った。
昭和10年6月7日、国指定史跡に指定されたが、昭和24年6月5日、火災により国宝であった三層天守と土塀を焼失した。さらにその後、公有・民有の建物等が増加し、史跡指定地内の荒廃が激しくなったため、昭和51年度より史跡福山城保存管理計画に基づき、保存整備が進められ、現在は平成28年度からの保存活用計画により整備を進めている。

 

www.town.matsumae.hokkaido.jp

 

  

 

④ スタンプの場所

松前城松前城資料館施設内)


f:id:Tigers1223:20220905175518j:image

f:id:Tigers1223:20220905175622j:image

日本100名城に行こう 公式スタンプ帳つき

日本100名城に行こう 公式スタンプ帳つき

  • 発売日: 2012/04/10
  • メディア: 単行本
 

ja.wikipedia.org

 

ラーメンの鬼故佐野実さんの店「支那そばや本店」で娘さんが作るラーメン食べました。

① 日時 2022年6月5日
② 場所 JR東海道本線戸塚駅より徒歩5分

③ コメント
本日、野暮用があり、その途中、戸塚に行き、ラーメンの鬼と言われた故佐野実さんの店の支那そばやにやって来ました。戸塚の駅から5分ということでしたが少々道に迷ってしまいました。

f:id:Tigers1223:20220608121313j:image

12時前に着きましたか、2組待ちで思ったより列は、短く、10分ほどで店の人より食券買って下さいと案内がありました。

f:id:Tigers1223:20220607193352j:image

f:id:Tigers1223:20220607193415j:image

食券機の前で、少々悩みましたが、醤油ワンタン麺の大にしました。ワンタンは、名古屋コーチンのミンチ使用とのことです。また、今日は天気が良く良かったので、ビールもたのみました。ビールもこだわりかアサヒプレミアム生ビール塾撰です。

f:id:Tigers1223:20220608121226j:image

カウンターの席に案内されました。壁には、佐野実さんの食材の産地が書かれたポスターが貼ってありました。

f:id:Tigers1223:20220608121240j:image

まず、ビールが運ばれてきました。生ビールと書かれていたので、ジョッキかグラスかと思ったのですか、特別なグラスとともに瓶ビールでした。
f:id:Tigers1223:20220608121558j:image

ラーメンが来る前にチョビチョビ飲むことにしました。今日は、気候も良くビール日和で昼からのプレミアムビールは、最高です。

カウンターを見ると、小柄な女性が外出するような服でラーメンを作ってました。これもこだわりの一つかなと思いました。後で調べたら佐野実さんの娘さんのようで、佐野実さんの味の継承だけでなく接客も含めて店舗運営しているようです。佐野実さんと言えば、怖く、お客さんでも、気に入らなければ怒鳴りつけるイメージがありますが、接客もソフトでしっかりしてました。

しばらくすると、ラーメンが来ました。ラーメンには、シナチク、チャーシュー1枚、のり、ネギそしてワンタンです。

f:id:Tigers1223:20220608183605j:image

まず、スープを一口、「うめぇ」と思わず声を出したくなる味で、鶏ガラです。麺は、細麺でスープにいい感じでスープにからみます。ワンタンは、名古屋コーチンのミンチが入っておりコクがありました。チャーシューは、噛んだ瞬間に肉汁が口の中に広がりました。シナチクも味が染みてとても美味しいです。全ての具材にこだわっているのがよくわかります。

スープまですべて飲み干して完食です。

ご馳走様でした!

tabelog.com

中山道69次ウォーク第六回目〈JR群馬八幡駅ーJR横川駅)2022年5月7日

今回からは行きも帰りも新幹線にすることにしました。高崎まで新幹線で、信越本線に乗り換え、前回、終了地点の最寄駅のJR群馬八幡駅に向かいました。

f:id:Tigers1223:20220522144829j:image
f:id:Tigers1223:20220522144832j:image

駅で準備運動し、前回の終了地点の大門屋に向かいました。少林山入口の信号のところです。

f:id:Tigers1223:20220522145005j:image
f:id:Tigers1223:20220522145007j:image

ここから中山道ウォークの開始です。今日もこちらのガイドブック片手に出発です。

 

すぐに上野國一社八幡宮の鳥居が見えてきました。そして安中市に入りました。

f:id:Tigers1223:20220525121048j:image
f:id:Tigers1223:20220525121052j:image

細かい地図の確認はこの人力サイトを活用しました。

www.jinriki.info

板鼻宿は、現在、安中市に入っています。(旧碓氷郡板鼻町)

f:id:Tigers1223:20220525121332j:image

人力のサイトによると中山道では、川渡しとして随一の難所であったという碓氷川の川渡しを控えて、宿泊する人も多かったとのことです。

しばらく歩くと板鼻宿に入りました。本陣跡がありました。

f:id:Tigers1223:20220525121426j:image
f:id:Tigers1223:20220525121423j:image
f:id:Tigers1223:20220525121419j:image

 

板鼻宿から隣の安中宿までは、あまり距離がありません。旅館を過ぎると碓氷川の鷹の巣橋を渡りました。橋を越えると諏訪神社がありました。

f:id:Tigers1223:20220525121616j:image

しばらく歩き、川の手前の道祖神のところを左に曲がります。

f:id:Tigers1223:20220525121852j:image
f:id:Tigers1223:20220525121856j:image
f:id:Tigers1223:20220525121847j:image

道の先に安中駅が見えました。安中駅板鼻宿と安中宿の間にありました。再度、碓氷川の久芳橋を渡り左に入ります。

f:id:Tigers1223:20220525122138j:image

間もなく安中宿の江戸側の入口の木戸跡が、ありました。

f:id:Tigers1223:20220526120155j:image

すぐに本陣跡がありました。

f:id:Tigers1223:20220526120401j:image
f:id:Tigers1223:20220526120358j:image

その後、日本初の私設図書館があった便覧舎跡、京側の入口の大木戸跡があり、ここから松井田宿に向かいます。

f:id:Tigers1223:20220526120739j:image
f:id:Tigers1223:20220526120735j:image

愛宕神社を過ぎしばらく歩くと杉並木が見えてきました。往時は日光の杉並木にも匹敵するほどの見事な並木だったと言われている杉並木で、現在は10数本のみですが、堂々としています。

f:id:Tigers1223:20220526192137j:image
f:id:Tigers1223:20220526192106j:image
f:id:Tigers1223:20220526192133j:image
f:id:Tigers1223:20220526192121j:image
f:id:Tigers1223:20220526192124j:image

その後、役場跡、高札場跡、明治天皇小休所、真光寺に入り、鐘を見ました。

f:id:Tigers1223:20220530120150j:image
f:id:Tigers1223:20220530120211j:image
f:id:Tigers1223:20220530120159j:image
f:id:Tigers1223:20220530120155j:image

八本木地区に入り、旧立場茶屋、向かいには、百年に一度ご開帳されるという八本木地蔵堂がありまさした。

f:id:Tigers1223:20220530120429j:image
f:id:Tigers1223:20220530120442j:image
f:id:Tigers1223:20220530120435j:image

さらに真っすぐ進み、日枝神社郷原の一里塚があったあたり、道祖神、妙義道常夜燈などを越えて、少しだけ大通りと分かれて進みました。

f:id:Tigers1223:20220530120944j:image
f:id:Tigers1223:20220530120913j:image
f:id:Tigers1223:20220530120959j:image
f:id:Tigers1223:20220530120919j:image
f:id:Tigers1223:20220530120926j:image
f:id:Tigers1223:20220530120932j:image
f:id:Tigers1223:20220530120938j:image

ここで、洋風のレストランがありました。

f:id:Tigers1223:20220530121321j:image

「SUMMY」というお店でお昼も過ぎており入ることにしました。検索するとハンバーグとポークジンジャーがおすすめのようで、私がポークジンジャー、家内がジャンボハンバーグを注文しました。

tabelog.com

中は、ほぼ満席で注文入ってから作るようで来るまで30分くらいかかりました。味は、どちらも本格的な味で、この場所でこの味は驚き、ジューシーな肉汁とソースがマッチしてました。

f:id:Tigers1223:20220530122143j:image
f:id:Tigers1223:20220530122136j:image

お腹を満たし、中山道ウォーク再開です。

f:id:Tigers1223:20220601120122j:image

松井田宿に着くと、脇本陣跡、崇徳寺、金井本陣は、信用組合の辺りに、また、その先のクリーニングおおつきの辺りに松本本陣があったそうです。

f:id:Tigers1223:20220601120725j:image
f:id:Tigers1223:20220601120707j:image
f:id:Tigers1223:20220601120728j:image
f:id:Tigers1223:20220601120732j:image
f:id:Tigers1223:20220601120710j:image

f:id:Tigers1223:20220601121430j:image

人力のサイトによると松井田宿は、碓氷峠に向かう人、越えてきた人で賑わいをみせ、また、信州諸藩の城米が集積され、江戸廻米の中継地となっていたことから、米宿とも呼ばれて反映したそうです。

高札場跡を過ぎると京側の入口の上木戸跡、八幡宮がありました。

f:id:Tigers1223:20220601121729j:image
f:id:Tigers1223:20220601121713j:image
f:id:Tigers1223:20220601121658j:image
f:id:Tigers1223:20220601121656j:image

松井田宿を出ると、補陀寺などを見つつ、松井田署の信号から右に入って、少し歩くと江戸から32里目の一里塚跡がありました。看板は、ありましたが正式な名前は、わかりませんでした。

f:id:Tigers1223:20220601191128j:image
f:id:Tigers1223:20220601191110j:image
f:id:Tigers1223:20220601191120j:image

さらに進み、五料村に入り、立場があったところで、高札場跡がありました。エピソードのある茶釜石を通り、地図では、鉄道を渡るようになっていましたが、わからず、碓氷神社を通り迂回して踏切を渡りました。

f:id:Tigers1223:20220603121955j:image
f:id:Tigers1223:20220603122004j:image
f:id:Tigers1223:20220603122008j:image
f:id:Tigers1223:20220603122019j:image
f:id:Tigers1223:20220603122015j:image
f:id:Tigers1223:20220603122011j:image
f:id:Tigers1223:20220603121959j:image

さらに、百合若足跡石を見て本日の目標の横川駅に着きました。

f:id:Tigers1223:20220606120923j:image
f:id:Tigers1223:20220606120932j:image
f:id:Tigers1223:20220606120929j:image
f:id:Tigers1223:20220606120937j:image
f:id:Tigers1223:20220606120926j:image

f:id:Tigers1223:20220606121006j:image

ここで、今夜の夕食も兼ねおぎのやの峠の釜飯を買おうと行くと既にまだ4時過ぎなのに閉まってました。それで、駅の売店に行くと売り切れでした。売店で聞くとお店でで買えるとのことで再びお店に戻り閉まってましたが、横から入り、買うことができました。

f:id:Tigers1223:20220606121417j:image
f:id:Tigers1223:20220606121413j:image

閉店しても、在庫があれば売ってくれるようです。

峠の釜飯をお土産兼夕食に、横川駅から高崎経由で新幹線で帰路に着きました。

f:id:Tigers1223:20220606121725j:image