前回(昨日)は、温泉大浴場が気持ちいい磐田グランドホテルに泊まりました。
朝風呂に入り疲れを癒し、朝食バイキングをいただき、昨日の終点の高砂香料のバス停に戻るべく遠州鉄道バスの磐田営業所に向かいました。
時刻表を確認していたので浜松行きのバスに乗り20分程で前日の地点高砂香料のバス停に着きました。準備運動をし、袋井宿からの東海道53次のガイドブックを片手にウォーキング開始しました。
しばらく歩くと、日本橋から63里目の宮之一色一里塚跡がありました。
その後、天竜川に向かって歩きます。土手を上り、天竜川が見え、天竜川橋と新天竜川橋の二つの橋が掛ってます。歩道は新天竜川橋にありこちらを渡って、浜松市に入りました。
すぐに左側に降りていくと渡ると六所神社、天竜川の船着場跡がありました。当時、大井川を人足で、こちらを船で渡らなければならず、大雨等で留まらなければならなかったことも多々あったのではないかと思いました。
しばらく歩くと、天竜川の治水事業に貢献した、明善翁生家や明善記念館があり、姫街道の起点を通過し、日本橋から64里目の安間一里塚に着きました。
その後、立場跡、源頼朝の弟の範頼所縁の子安神社、日本橋から65里目の馬込一里塚跡と続きます。
ここを過ぎ馬込橋を渡ると、次の宿場浜松宿に入ります。
浜松宿は浜松城の城下町で、本陣6軒、旅籠94軒と大きな宿場だったそうです。浜松市街を歩き、連尺の信号を右に曲がり、高札場跡、杉浦本陣跡、川口本陣跡、梅屋本陣跡がありました。
番所跡があった成子の信号を右に曲がり、その後、左に曲がり、東海道線、新幹線のガードレールをくぐり、しばらく歩くと日本橋から66里目の若林一里塚跡、二御堂堂、八幡神社がありました。
ここを右に曲がると真直ぐな県道となり、事前に調べたこの道沿いの浜松餃子のかんべゑを目指しました。しかしながら、13時ごろにもかかわらず、店は、営業終了となっておりなくなく、さらに歩き、浜松藩との境界の堀江領境界石、高札場跡、その先のマクドナルドでランチを済ませました。
その後、県道から右に入り、神明宮を過ぎ、日本橋から67里目の篠原の一里塚跡がありました。
さらに歩き、高札場跡、愛宕神社、稲荷神社、観音寺跡、ソテツの大樹がある東本徳寺、西本徳寺と、神社や寺が続きます。
少し先には、当時の面影が今も長池松並木が車道を挟みありました。
舞坂宿の入口手前には、遠州の漁師にまつわる逸話に出てくる波小僧が公園にありました。
ここを過ぎると、次の宿場舞坂宿に入り、入口を示す見付石垣があり、その後に日本橋から68里めの舞坂一里塚と常夜燈、宝珠院、岐佐神社がありました。
舞坂宿は、本陣2軒、脇本陣1軒、旅籠28軒があり、舞坂宿の本陣跡は標識だけでしたが、修理して復元された「脇本陣茗荷屋(みょうがや)」があり、こちらを見学しました。
当時は、次の新居宿には、浜名湖を、船で渡り、舞坂側の渡り場を雁木といいました。一般の方が渡る本雁木跡、大名や幕府役人が利用した北雁木がありました。
今日は、ここから弁天橋を渡り、弁天神社と歩きJR弁天橋駅へ行き、終了としました。
簡単にストレッチをして浜松駅まで東海道線で新幹線に乗り換え帰途に着きました。