前回(昨日)は、最近出来たばかりで、温泉大浴場もあり東海道にも近く便もいいホテルルートイン豊橋駅前に泊まりました。
朝風呂に入り疲れを癒し、朝食バイキングをいただき、5分程歩き、昨日の終点の松葉公園に向かいました。今回もこちらのガイドブック片手にウォーキング開始です。
松葉公園を川の方向に歩くと、吉田宿の出口にもなる吉田宿西惣門があり、ここまで吉田宿になります。
その後、賢養禅寺が、東海道を右に入ったところにありました。
さらに歩き、幕府直轄の五大橋の一つ豊橋の手前に神明社がありました。
豊橋のすぐ近くには、船渡し場が当時あったようです。豊橋を渡り、左にまがり県道496号線沿いを歩きます。
道沿いに豊川稲荷拝所、聖願寺、松葉塚、そして日本橋から74里目の下地一里塚がありました。
その後、道を左に入り、弥生時代の遺跡の瓜郷遺跡がありました。
元来た道を戻り、子だが橋碑を過ぎ、菟足神社、しばらく歩き、伊奈村立立場茶屋跡、日本橋から75里目の伊奈一里塚跡がありました。
その後、さらに歩き続け、薬師堂、日本橋から76里目の御油一里塚跡、姫街道との追分の御油追分を過ぎると御油宿に入ります。
江戸から数えて三十五番目の宿場町でとなる御油宿。
1601年に開設。本陣が最も多いときで4軒あり、こじんまりとした宿に本陣が4軒もあるのは珍しいことであったようです。高札場跡、問屋場跡、御油観音、御関札等ありました。
これらを過ぎ、東海道で現存する中で最も美しいとされる御油の松並木がありました。
松並木を歩き、すぐに次の宿場の赤坂宿です。東海道で最も短い宿場間とのことです。松並木を過ぎると江戸からの入口、東見附跡がありました。
江戸から数えて三十六番目の宿場町となる赤坂宿で、御油宿と赤坂宿はひとつの大きな宿でした。五街道整備の際に中央に松を植え赤坂宿とふたつの宿場に分けられました。
大名行列は京から江戸に向かう際は赤坂を利用し、日本橋から京に向かう際は御油を利用するというルールが存在しました。
赤坂宿に入り、関川神社、本陣跡、復元された高札場跡があり、こちらも復元された旅籠大橋屋の中を見ました。
その後、脇本陣跡、赤坂陣屋跡を過ぎ、出口の西見附がありました。こちらで道を少し外れ、ファミリーマートでランチを買いました。
赤坂宿を出て、しばらく歩くと一里山庚申道標、日本橋より77里目の長沢の一里塚跡、長沢小学校の場所に長沢城跡がありました。
さらに進み、国道一号線にでます。ここからは一号線をひたすら歩き、岡崎市に入ります。本宿碑、冠木門と常夜燈があり、その先の新箱根の信号を過ぎたら左に入ります。
少し行くと徳川家康が幼いころ過ごした法蔵寺があります。家内は、こちらで御朱印をいただきました。また、こちらには、近藤勇の首塚がありました。
さらに、 本宿駅方面に進むと日本橋から78里目の本宿一里塚跡がありました。
今日は、ここから名鉄本宿駅へ行き、ストレッチをし、終了としました。
名鉄本宿駅から国府駅まで普通で、特急に乗り換え豊橋に行き、JR豊橋駅から新幹線で帰路につきました。