朝風呂に入り、健康朝食をいただき、昨日の最終ポイントの「小谷」バス停に行くべき、7時52分の平田町駅行きのバスにホテル近くの「鵜の森前」バス停から乗りました。
今日は、渋滞なく、30分かからず着きました。準備運動し、ガイドブック片手に東海道ウォーク開始です。
新版 ちゃんと歩ける東海道五十三次 西 見付宿?京三条大橋 +佐屋街道
- 作者: 八木牧夫
- 出版社/メーカー: 山と渓谷社
- 発売日: 2019/03/01
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
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すぐに、鈴鹿市に入り、北町の地蔵堂、大木神社鳥居を過ぎると、次の宿場石薬師宿になります。
石薬師宿は、四日市と亀山の間が長すぎるために設けられた宿場で、宿場の設置は遅く、元和2年(1616年)だったそうです。小澤本陣跡、歌人の佐佐木信綱生家が、あります。
さらに国道1号を渡り、弘法大師ゆかりの石薬師寺がありました。こちらの寺の石薬師から宿の名が付けられたそうです。
石薬師宿を出ると、次の宿場庄野宿まではあまり距離がありません。すぐに江戸から百二里目の石薬師の一里塚がありました。立派なエノキがありました。
庄野宿は、すぐ近くで、一旦、国道1号のガード下を通り、その後、国道1号に合流し、庄野町北の信号を右に曲がり、すぐに右に曲がると庄野宿です。
庄野宿は本陣1軒、脇本陣1軒、旅籠15軒という小さな宿場でした。旧小林家住宅が、庄野宿資料館となり、庄野宿の展示物を見ることができました。中に入ると、資料館の人から庄野宿についてお話しを伺うことができました。その後、問屋場跡、本陣跡、高札場跡、推定樹齢三百年のスダジィのある川俣神社と続きます。
庄野宿を出て、国道1号線を渡ると平野道道標、神戸領界石と女性だけで造られた女人堤防碑、山神碑がありました。
さらに進むと、川俣神社の入口に江戸から百三里目の中富田一里塚がありました
和泉橋を渡りしばらく歩くと、立派な常夜燈のある地福寺がありました。
亀山バイパスを越え、谷口法悦供養塔や和田の道標がありました。
時間が、昼を過ぎ、ネットで調べ、和田の道標近くで国道沿いの食堂を見つけこちらで食事をすることにしました。
ここは、亀山B級グルメのホルモン焼きうどんにし、大盛りで注文しました。店は、活気があり混んでいましたが、まもなく山盛りのうどんが来ました。量が多く食べるのがたいへんでしたが、甘い味噌とマッチした美味しいうどんでした。
しばらく道なりに歩くと、石上寺、江戸より百四里目の和田の一里塚跡、続いて能褒野神社二の鳥居、露心庵跡がありした。
ここを過ぎしばらく歩くと、次の宿場亀山宿になり、入口にあたる江戸口門跡がありました。
亀山は江戸中期以後は、石川氏6万石の城下町で、城下町にしては、宿場町としてもそれほど大きくはなかったそうです。町には、樋口本陣跡があり、亀山城址にも立ち寄りました。
京側の出口の京口門跡を過ぎ、亀山宿を出ると寺院が多く建っています。
寺院を見ながら進むと、江戸から百五里目の野村一里塚跡がありました。
さらに進み布気皇館太神社や大岡寺畷がありました。
しばらく歩き進むと、立派な小萬のもたれ松がありました。
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ここを過ぎると次の宿場関宿で、江戸から百六里目の関の一里塚跡、伊勢神宮一の鳥居がある東追分がありました。
なります。関宿は戦国時代末期には宿駅の設置があったようです。
進むと御馳走場跡、脇本陣跡、問屋場跡、川北本陣跡、伊藤本陣跡と現在でも当時の面影がありました。
その後、高札場跡の前の深川屋で創業寛永年間銘菓「関の戸」をお土産に購入しました。
今回は、ここで終了とし、関駅へ移動し、軽く運動し、亀山、名古屋へ、名古屋では、名古屋駅エスカまで行き矢場とんのロースかつ弁当を買い、新幹線で食べ帰途に着きました。