朝、7時36分のバスに乗るため、朝食バイキングに6時30分スタートのため、6時25分位に行ったところ既に長蛇の列で、団体さんがいたようです。席に着くまで10分以上かかり、どうにかならないものかと思いました。サクサクと15分ほどで済ませ、綾野天満宮のバス停に向かい、昨日、終着の近江山内まで、バスで向かいました。
こちらよりガイドブック片手に東海道ウォークスタートです。
新版 ちゃんと歩ける東海道五十三次 西 見付宿?京三条大橋 +佐屋街道
- 作者: 八木牧夫
- 出版社/メーカー: 山と渓谷社
- 発売日: 2019/03/01
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
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猪鼻の信号の脇から国道外れ、細道を下り、集落に入ります。明治天皇聖蹟碑がありました、
一旦、国道に戻り、その後、旧道に入り、蟹坂古戦場跡を過ぎると、復元された街道橋があり、その先には、田村神社がありました。
ここを過ぎると、東海道土山宿碑がありこちらが江戸側の入口になります。
土山宿は、鈴鹿峠を越えて最初に入る宿場で、箱根越えを控えた小田原宿や三島宿と同様に賑わっていたそうです。その後、江戸から百十里目の土山の一里塚跡がありました。
また、この地は、森鴎外の祖父白仙が亡くなった地で森鴎外所縁の地でもあります。
二階屋本陣跡、問屋場跡、土山宿本陣跡、大黒屋本陣跡、高札場跡と続きます。
土山宿を出て、東海道は、野洲川を横切ってましたが、現在は、ないので迂回しました。
しばらく歩くと、垂水頓宮御殿跡がありました。
街道に戻ると地安禅寺があり、江戸から百十一里目の大野市場一里塚跡がありました。
さらに進み国道1号線の手前に、三好赤甫旧跡があり、現在は、料亭になってました。さらに道なりに進み、国道1号線を渡り、少し歩くと江戸から百十二里目の今在家一里塚がありました。、
県道沿いにローソンを見つけ、ここでランチを買いました。
その先県道549号沿いに、岩神社がありました。
山川橋を渡ると、水口宿の江戸側の入口になる東見附跡がありました。
水口宿は、天正13年(1585)の水口岡山城築城の際に形成された城下町として、江戸時代には東海道を中心とした特徴的な「三筋街」として発展しました。脇本陣跡、本陣跡、高札場跡、三筋の町、問屋場跡とありました。
水口石橋駅の手前に立派な山車がありました。
水口城の東口にあたる天王口跡、力石、江戸から百十三里目の林口の一里塚跡、水口宿の出口の西見附跡がありました。
水口宿を出て横田橋を目指し歩くと、横田渡跡常夜燈があり、その少し先には、泉の一里塚跡がありました。
その後、湖南市に入り、橋を渡りJR三雲駅から今日は、帰途に着くことにしました。
新幹線の時間が合わず、草津線で草津から名古屋まで在来線で行き、名古屋から新幹線で帰りました。