① 日時 2020年8月5日
② 場所 京王八王子駅・JR八王子駅北口から戸吹行き・秋川駅行き・戸吹スポーツ公園入口行きバスで「滝山城址下」下車、徒歩約15分
東京都八王子市丹木町
③ コメント
続日本100名城の123番です。
菅谷館跡から一般道で東松山ICに関越自動車道に入り鶴ヶ島JCTから首都圏中央連絡自動車道であきる野ICで降りて、サマーランドの前を通り来ました。カーナビの通り行くとこの先行き止まりという看板があり、指定の駐車場が示されていました。手前の交差点の角に駐車場があり、Uターンしそちらに止めました。
駐車場から出て少し歩き右に入ると滝山城跡のある滝山公園の入口です。ここから、山道を登っていきます。
スタンプは、中の丸にあるとのことで地図を見ると公園の奥にありました。土橋、馬出、千畳敷と通り登っていきます。
15分くらいで中の丸に着きました。
スタンプは、中の丸にある建造物においてありました。
この先からは、多摩川やそこ先の街並みがとても綺麗でした。武田信玄が滝山城を攻めた時、北条氏は、ここから見ていたのでしょうか。
多摩川沿いにある標高160mの丘陵地を活かした連郭式山城で、1521年、大石定重(武蔵守護)が築城したとされる。戦国時代となり、小田原城の北条氏康が勢力を伸ばすと、滝山城主・大石定久は北条氏康の3男・北条氏照を娘婿に迎え、北条家の軍門に下った。
その築城能力の高い北条家によって、1558年頃から滝山城は改修されたと考えらる。複雑な地形を巧みに利用した天然の要害で、当時としては関東随一の規模だった。
1569年には、甲斐の武田信玄が、小田原城攻めを行う際、20000の軍勢で滝山城を攻めた為、北条氏照らは2000で籠城。武田信玄の目的は小田原であったこともあり、無理に滝山城は落とさず、先を急いだとされ、武田信玄の帰路では三増峠の戦いで、再び北条氏照とあいまみえている。その後、信玄に攻められたことにより滝山城の限界を知り、氏照は八王子城に移りました。
④ スタンプの場所
スタンプは、三箇所に置かれているようです。私は、散策しながら中の丸で押しました。
滝山城跡中の丸広場、八王子市加住市民センター