① 日時 2020年8月23日
② 場所 両毛線 JR足利駅から徒歩10分
東武鉄道 伊勢崎線 足利市駅から徒歩15分
③ コメント
日本100名城の15番です。
朝一番で佐野ラーメンを食べ、その後JR両毛線で足利に来ました。渡良瀬橋に寄って、足利氏館へ行きました。足利氏宅跡ともいうようでNAVITIME では足利氏館ではなく足利宅跡で出てきます。また、鑁阿寺にあり調べると足利氏館(鑁阿寺)とも良く出てきます。
渡良瀬橋から徒歩でルート検索すると西門から入るルートだったため西門から入りました。
御霊屋、大酉堂、蛭子堂等通り、よくいる場所がわからず、本堂の裏の方に先に行ってしまいました。
駐車場があるのを見つけ、本堂にたどり着きました。スタンプは、本堂の御朱印等の受付の所にありました。お賽銭、お参りをした後に向かいました。
本堂の前には、大銀杏がありました。
足利氏宅跡は平安時代末期から鎌倉時代初期に源姓足利氏二代目足利義兼によって建てられた居館とされています。
この居館の外縁の長さは北約223m、南約211m、東約175m、西約206mの不整台形をしており、土塁(どるい)と堀により四周が囲まれています。
中世の地方豪族の邸宅の様子を知ることが出来ます。
鑁阿寺(ばんなじ)は、建久(けんきゅう)7年(1196)義兼が理真上人(りしんしょうにん)を開山として、堀の中に持仏堂を建てたのが始まりと言われています。
義兼は晩年出家し仏門に入り、鑁阿と称しました。その法名をもってお寺の名前としています。
義兼の死後、その子 義氏(よしうじ)が堀の外に十二支院を建てるなどして一山十二坊(いちざんじゅうにぼう)の整備をしました。
その後も鑁阿寺は足利氏の氏寺(うじでら)として、室町将軍家、関東公方家などから厚く保護されました。
鑁阿寺境内には本堂(大日堂)・中御堂・経堂・多宝塔・鐘楼・御霊屋(おたまや)・蛭子堂(ひるこどう)・楼門・東西門・北門・庫裏など大小20余りの建物があり、御本尊をはじめとした多くの仏像や、代々寄進された品々、文書(もんじょ)など非常に貴重な文化財が数多く残されています。
行きは、西門から入り、帰りは、正門から出ました。
④ スタンプの場所
鑁阿寺本堂