今回は、JR横川駅から軽井沢まで碓氷峠越えの中山道ウォークです。7時前の新幹線で高崎に向かい、在来線に乗り換え横川まで行きました。
前回は、5月7日でしたので、約5ヶ月ぶりの再開です。9月に再開予定でしたが、天気が悪く延期になってました。
準備運動をしてこちらのガイドブック片手に出発です。
横川駅の前を左に曲がり、進むと諏訪神社、そしてその先には碓氷関所跡がありました。東門の位置で写真を撮っていると年配の男性が近寄って来ました。こちらのボランティアガイドの方でした。
石垣も残っていて当時の様子も説明してくれました。
すぐ先に関所の門が見えて来ました。
当初は、群盗を取り締まるために作られて、その後は、中山道の要所として政治的な意味を持つものになったそうです。
関所を越えて少し進むと、薬師坂、薬師堂がありました。
さらに進み、碓氷峠を控えた宿場坂本宿の入口にあたる下木戸跡に到着しました。
ここから坂本宿です。
人力のサイトによると、道路の中央に用水路があり、両側に本陣、脇本陣、旅籠、商家が160軒ほどあり、賑わっていたそうです。
佐藤本陣跡があり、その後、坂本小学校の仮校舎として使用されたそうです。
その先に脇本陣みよがや、坂本宿宿屋号一覧、宿のおもかげを残す旅籠かぎや跡、小林一茶の定宿であるたかさごや、丸仁屋跡がありました。
その後、京側からの入口である上木戸跡(坂本宿の出口)、芭蕉句碑があり、これからは碓氷峠を登ります。
坂本宿を出て、中山道の旧道に入り標識に従い進みます。
狭い道に入ると電気柵使用中との看板で道が塞がれてました。動物よけでしょうか。しかし、ここしか道はないので慎重に潜り進むことにしました。
この後、道が山道になりそうで、ヤマビルがでそうなので、対策としてズボンの裾を屈指の中に入れガムテープで巻き、ヤマビルファイターというスプレーをくつやズボンに噴射しました。
ヤマビル対策準備万端にし、中山道ウォーク再開です。右に曲がると徐々に道が登りになり再び公道に出て横切ると碓氷峠の登り口である碓氷小屋がありました。こちらには碓氷峠の詳細な説明の看板もありました。
碓氷小屋の標識によると弘法の井戸まで約1.3キロ(35分)登りのようで一番きつそうです。両手に杖を持ち、ゆっくり進みます。
しばらく登ると堂峰番所跡、さらに進み、柱状節理、ゴロゴロしている急坂で一番の難所と言われているに来ました。
刎石坂を登ったところにある上り地蔵・下り地蔵跡さらに坂本宿をみおろせる覗に着き、坂本宿を見下ろしました。
さらに進み、馬頭観世音、空気が吹き出している風穴まで通過し、次は、碓氷小屋から1.3キロの地点弘法の井戸でしたが、ここで道を外れてしまったようで見つかりません。
どうにか中山道に戻りましたが、弘法の井戸から5分(0.1キロ)の刎石茶屋跡に着きました。当時数件の茶屋があったそうです。
刎石茶屋跡から栗が原まで碓氷小屋の標識によると40分(2.0キロ)です。碓氷坂の関所跡 掘り切り 南向馬頭観世音 北向馬頭観世音と通り一里塚がありました。
すぐ近くに座頭ころがしがありめがね橋と熊野神社の表式をとおり栗が原に着きました。ここは、明治天皇の巡幸道路と中山道が分かれるところです。
碓氷小屋の標識によるとここから山中湖茶屋跡まで30分(1.4キロ)です。入道くぼを過ぎ、まごめ坂を歩き山中茶屋跡に着きました。明治の頃には、小学校があったそうです。
標識によるとここから子持山分岐まで15分(0.8キロ)、思婦石まで35分(1.8キロ)、熊野神社まで45分(2.3キロ)です。急坂の山中坂を進み、太平記に記されたり、武田と上杉の合戦が伝えられる陣場ヶ原を過ぎ子持山分岐に着きました。
ここからは、最後のきつい登り道で歩きにくい箇所もあり思婦石を通りいきなりアスファルトの道に出て峠の上の熊野神社に着きました。どうにか登り終えました。
ここまで歩き続け、お腹も空き、碓氷峠名物の力餅を食べることにしました。熊野神社の前にあるしげのやにはいることにしました。こちら、店の中が群馬県と長野県の県境になっておりテラスから絶景が見れます。テラス席は、人気があるようで私達は、お腹も空いていて疲れていたので店内の席にしました。
力餅、山菜、卵がのり、とろろ汁がついたしげのやそばとデザートで抹茶のちからもちソフトを注文しました。やはり、餅を食べると元気になりますね。
満腹になり、熊野神社を参拝し、軽井沢宿に向かいます。
すぐに、中山道の標識を見るとわきから入る狭い道でした。本当にここなのかと思い見ていると上がってくる人が来ました。たずねるとわかりにくく、歩きにくいですよと言われました。気をつけながら進むことにしました。
一旦、公道に出て、また、案内は、わかりづらい道のり方向を示しています。安内があるので進むことにしました。
15分程進むと道がなくなってしまいました。小川の近くにおりましたが道が見つかりません。案内もありません。どうすることも出来ず公道に戻り、軽く宿に向かうことにしました。しっかりと案内をして欲しいです。公道をひたすら歩き、軽井沢の町がいきなり開けて来ました。芭蕉の句碑がありました。
人力のサイトによると軽井沢宿は、本陣1軒、脇本陣4軒、旅籠21軒があった。特に旅籠では、遊女が200人もおり、とても賑わっていたそうです。
つるや旅館を過ぎ、白木屋、明治天皇軽井沢行在所、このあたりに本陣と一里塚があったそうです、
この後、旧軽井沢ロータリーを超え、六本辻で中山道ウォークは、終了しました。ここから徒歩で軽井沢駅へ向かいました。
軽井沢駅から碓氷峠の方向の写真を撮りました。軽くストレッチをしてへ新幹線で帰りました。さすがに疲れました。