① 日時 2020年9月6日
② 場所 JR飯田線・新城駅より豊鉄バス・鴨ヶ谷口バス停下車
新城市作手清岳字宮山地内
③ コメント
続日本100名城の150番です。
岩村城からカーナビを設定し、古宮城に向かいました。岐阜県から愛知県をのどかな道を約2時間弱の道のりです。途中、愛知県に入り、豊田市と表示され、車のトヨタの本社がある市というイメージでしたが、思ったより広く、田舎もあるのだと思いました。途中、崖崩れの危険があるということで迂回させられ、このロスで30分くらい余計にかかりました。(長篠城まで行く予定が行けなくなりました。)古宮城が近づきカーナビの案内が終了したのですが、それらしき山はあったのですが何も表示がなく、止む無く再度カーナビでスタンプのある作手歴史民俗史料館に先に行くことにしました。後ほどわかったのですが、城の入口の反対側だったようです。
スタンプは、入口にあり、受付にいたおじさんに場所をたずねると一本早く右に入ったようで白鳥神社を目指すと間違えないとアドバイスいただきました。史料館に先に来たので中を拝見しました。当時の城のジオラマがありました。
史料館のおじさんの二つ目の信号右折ということを聞き、右折すると神社の鳥居が見えてきました。その先な車を停めるスペースがありました。
古宮城の説明の看板、スタンプの場所の案内もありました。
雨が少し降って来ましたが少し登ってみることにしました。
立派な杉の木がありました。信玄の家臣馬場氏も見たのでしょうか。
仕切り土塁、主郭上段のあった場所です。
古宮城は武田信玄が三河侵攻の拠点として、家臣の馬場信春に築かせた城です。「長篠の戦い」に先立つ1573年(天正元年)、奥平貞能・貞昌父子は武田氏を離反して徳川氏に帰属し、その際に古宮城は徳川・奥平氏によって攻められ落城しています。
④ スタンプの場所
作手歴史民俗資料館
設楽原歴史資料館と間違える人がいるようです。ご注意ください。
⑤ その他
新城市のホームページで下記の注意書きが載ってました。
※古宮城跡の敷地の多くは、個人所有の土地です。
ここでの見学の際は、「あいさつ」や「通路以外の場所に入らない」などのマナーをお守りください。これまで大切にしてきました遺構や草花などが、踏み荒らされる被害が発生しています。また、順路のショートカットや見学時間の短縮等のために、個人住宅の敷地内を無断で立ち入る行為はおやめ下さい。白鳥神社からの出入り口を必ず経由して見学をお願いします。
史跡地の見学は、関係する多くの地主の方のご理解により、自由見学の利用に供しています。見学される皆様のご協力をお願いいたします。
※「続日本100名城」のスタンプは、『作手歴史民俗資料館』や近隣の店舗に設置してあります。
設楽原歴史資料館(電話:0536-22-0673)にはスタンプは設置していませんので、お間違えのないよう、お越し願います。