① 日時 2020年11月21日
② 場所 JR紀勢本線・近鉄大阪線「松阪」駅下車、徒歩約15分
〒515-8515 三重県松阪市殿町
③ コメント
日本100名城の48番です。松阪は、阪ですが、城は、松坂と坂の表記ですが、今度調べたいと思います。
津城跡から再び近鉄津新町駅に戻り、急行で松阪へ向かいました。松阪の駅前からグーグルで松阪城を指定し、案内に沿って歩くと松坂城跡の裏手に着きました。
石段を上り、しばらくすると本居宣長旧宅、記念館がありました。100名城のスタンプは、こちらの記念館と民族資料館で押すことができます。旧宅、記念館に入場すると400円かかるのと本居宣長にあまり興味がなかったためスタンプだけ押させていただきました。ただ、記念館の女性は、厳しく外から写真を撮っていると入場料の支払いを促してました。
中御門、月見櫓跡と上ります。松阪の町が綺麗に見えました。
御跡があり、立派な石垣がありました。
石垣の階段を上ると金の間櫓跡、そして少し歩くと本丸跡がありました。
その後、天守閣跡に行きました。ここからも松阪の町が綺麗に見えました。
助左衛門御門跡を通り、歴史民俗資料館に立ち寄りました。こちらてもスタンプを押すことができます。
織田信長が叔父で城主であった蒲生氏郷について説明がありました。私は、伊達政宗の監視役として会津へ移封されたことが印象として残っており松阪でこんなに親しまれている武将とは知りませんでした。
100名城のスタンプラリーがありました。こちらで終了の人もいたようです。
歴史民俗資料館を後にし、表門跡、松坂城の看板がありました。私たちは、裏から城に入ったので表門で出ました。
城をあとにし、少し歩き右に入ると本居宣長旧宅跡がありました。
伊勢平野を流れる阪内(さかない)川と櫛田川に挟まれた標高35mあまりの独立丘陵上に築かれてます。1584年(天正12)に伊勢国を与えられた蒲生氏郷が、それまであった松ヶ島城に入りました。1588年(天正16)、松ヶ島は狭小なため、現在地に築いた城に入り、松ヶ島城下の商人や寺社を移住させ、また旧領の近江日野の商人を呼び寄せ、城下町の整備を行いました。1590年(天正18)、小田原攻めの軍功により、氏郷が陸奥国会津に移った後は服部一忠が入城しました。しかし、一忠は豊臣秀次事件に連座したとされて切腹、その後に入った古田氏も転封され、1619年(元和5)以降、南伊勢は紀州藩の藩領となり、明治維新を迎えました。
④ スタンプの場所
歴史民俗資料館
本居宣長記念館
⑤ その他
本居宣長記念館てスタンプ押すだけであれば無料で押せますが、職員の方に出してもらわないといけないのと少々分厚くに感じました。