東海道53次は、阪急交通社のツアーを利用してますが、別に中山道も家内と歩くことにしました。阪急のツアーは、ガイドさんの説明も要所要所であるのと年配の形も多いのでペースもとても遅いのでこちらは、二人のペースで行くことにしました。
出発は、東海道と同じく日本橋です。中山道を歩くためにまた予習、復習のために東海道53次と同様に下記の本、購入しました。 中山道は二人で歩き、ガイドさんもいないため、この本は大変重宝しました。
中山道は、神田駅方面に三越の前を通り歩いていきます。日本橋室町界隈を抜け、鐘撞堂跡、その隣に若き与謝蕪村が居住した地の跡があります。鐘撞堂は、江戸の民衆に時刻を伝えるためにありました。
神田駅のガード下を通り、将軍の上野の寛永寺への墓参の道として利用された筋違見付跡 、昌平橋を渡り、神田明神下の信号を左に曲がり、そして上り、湯島聖堂を右手に横に少し入ると神田明神です。
神田明神は、江戸時代に江戸総鎮守として江戸の町を守護し、神田祭りでも有名です。また、平将門を祭神の一つとしていて将門討伐に関係のある成田山新勝寺へは神田明神の崇敬する人は参拝してはならないという言われているそうです。
神田明神を後にし、本郷三丁目をを通りしばらく歩き東大赤門に着きました。
東大赤門は、旧加賀藩主前田家上屋敷の御守殿門であり、1827年に第12代藩主前田斉泰が第11代将軍徳川家斉の第21女、溶姫を迎える際に造られました。 東大の象徴的な門です。東大の前の道は緑も多く歩いていて気持ちいいです。
日光街道との分かれ道である本郷追分を曲がると中山道一つ目の一里塚があり、しばらく進み、横にちょっと入ると大円寺です。ここはほうろく地蔵(お七の罪を救うため)の寺として有名です。
中山道にもどり、三田線白山駅、白山通りに合流し千石駅と歩き続け巣鴨駅が見えてきました。巣鴨駅の向かいにあるのが江戸六地蔵の四番である地蔵がある真性寺です。東海道では品川寺にあり各街道の入り口に造られました。
巣鴨の商店街に入り、とげぬき地蔵で有名な高岩寺です。とげぬき地蔵は、すごい列で高岩寺へお参りのみしました。
その後は、とげぬき地蔵のすぐ隣にあるカレーうどんの名店の古奈屋で昼食としました。
巣鴨の商店街を抜けると庚申塚があり、都電荒川線を超え、滝野川商店街、埼京線の板橋駅を右に歩き続けると17号を渡ると平尾追分があり板橋宿に入ります。
板橋宿は、江戸方面から平尾宿、仲宿、上宿に分かれ、平尾宿と仲宿は、観明寺あたりで、仲宿と上宿は、板橋がかかる石神井川で分かれます。
石神井川を板橋を渡り、しばらく歩くと縁切榎があります。男女の悪縁を切りたい時や断酒を願う時にこの榎の樹皮を削ぎとって、煎じ飲むと願いが成就するとされた神木です。
板橋宿から蕨宿は、次に続きます。