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中山道69次ウォーク第十五回目〈JR木曽福島駅ーJR須原駅)2023年12月2日

今日は、前回の中山道ウォークJR木曽福島駅で終わりましたので、こちらから再開です。新幹線で名古屋経由の方が早いのですが片道4,000円も高いので今回もあずさで塩尻へ行きしなのへ乗り換えこちらに来ました。

JR木曽福島駅で準備運動していつもの中山道のガイドブック片手に中山道ウォーク開始です。

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駅前が中山道で左に進みます。福島宿を抜ける江戸から七十里目の塩淵の一里塚がありました。

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その後しばらく進み、沓掛馬頭観音、沓掛の一里塚がありました。

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その後、JR中央本線に沿うように進んでいくと、木曽八景のひとつ、木曽の桟があり橋を渡り対岸に行きました。対岸からでないと見れないため、標識がないと見落としてしまいます。

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木曽の桟は、太田の渡し、碓氷峠と並ぶ中山道の三代難所の一つです。当時、通行困難な断崖絶壁だったため、丸太の上に板などをあてて道をつくったそうです。現在は、わずかに残った石垣のみとなってます。少し、坂を下り展望スペースがありました。こちらから石垣も見ることができました。

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その後、上松宿に向かいます。

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上松宿の入口に高札場がありました。

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人力のサイトによると

上松宿は、木曽ひのきの集散地であり、木曽ひのきを商う商人たちの町として栄えた。たびたび大火に襲われているが、上町では焼失をまぬがれた部分があり、遺構を残している。と記載されてました。

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上松宿に入り、王林寺に立ち寄り、少し歩き、塚本歯科がありここに本陣があったそうです。

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その後、江戸より七十二里目の本町の一里塚、尾張藩直結管理の材木役所跡、諏訪神社がありました。

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上松宿を出るとすぐに浦島太郎伝説の残る寝覚の床がありました。ここで、日本で二番目に古いと言われている越前屋さんでそばをいただくことにしました。なんと松尾芭蕉など江戸時代の著名人も訪れたとのことです。中山道沿いに前は、あったのですが、坂を下り今は、寝覚の床の入口の道沿いにありました。

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入るとこの店に訪れた著名人の額がありました。

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天ぷらがついている「盛天そば(2枚)」にしました。

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しばらくすると盛天そばが来ました。

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天ぷらの海老は、いつも食べている天ぷらの海老ではなく、三匹が丸い海老が揚げられてました。これは、これで食感もあり美味しかったです。また、伝統のそばも腰があり喉ごしも良くするするといきました。

食事を終え寝覚の床に向かいました。拝観料を納めて中に入りました。

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お参りをまずしました。浦島太郎の伝説が残ってます。

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中山道ウォークを進めたいので、下まで下りて見に行けませんでしたが、上の展望台からの景色も素晴らしいです。

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坂を上り、中山道に戻るところに先ほど食した越前屋さんの旧建物がありました。旅館もしていたのでしょうか。

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さらにしばらく進むと大きな桂の木があり、その後途中わかりにくい道があり少々迷いながら国道沿いに小野の滝がありました。上に鉄道の高架があり少々趣きをこわしてます。

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さらに進み、江戸より七十三里目、上松宿から一里にある萩原一里塚跡、次の倉本の一里塚跡(見つかりませんでしたがこの辺りかと写真とりました。)通り須原宿に向かいます。

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須原宿の入口に須原の一里塚跡がありました。

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人力のサイトによると須原宿は、

正徳5年(1715)の木曽川の大洪水によって、宿場のほとんどが流出したため、その後一段高い土地に移転したのが現在の須原宿の町並みである。水舟と呼ばれる木をくり抜いて作られた水汲み場が、随所にある。とのことです。

本日は、大桑駅目標にしでましたが、暗くなるのも早いので須原駅から帰ることにしました。さかを上ると駅ですが、電車の時間まで1時間ちょっとあるので須原宿の出口まで進むことにしました。

駅方面に坂を上らず、左の道を少し進んでから細い道を左に入り上ります。その後大通りを右に入り、坂を下り途中しばらくすると本陣跡がありました。

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その後、須原宿出口の近くにある定勝寺に立ち寄りました。紅葉シーズン終わりましたが落ち葉が綺麗です。

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須原宿の出口にあたる枡形に寄り、来た道を戻り、須原駅へ向かいました。

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その後、また、塩尻経由で帰りました。次回からは、名古屋経由の新幹線にするかもしれませんが、春に中山道ウォーク再開したいと思います。

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