今日は、中山道ウォーク十回目で、バスが上田駅発長久保バスターミナル行きの8時過ぎのバスのため、いつもより早い東京駅6時28分の新幹線はくたかに乗りました。
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8時前に上田駅に着き、30分弱時間があったのでタリーズで待つことにしました。
上田駅から約1時間バスに乗り、長久保バスターミナルに着きました。
長久保バスターミナルで軽くストレッチをし、すぐのところにある前回終了地点の旅館 濱田屋の角に向かい、中山道ウォークをいつも通りこのガイドブック片手に開始です。
長久保宿を出ると、ひたすら歩きます、今日の目的地の東餅屋まで16.6キロの標識もありました。
さらに進み、今日泊まる民宿 みやの看板もあります。中山道の和田峠越えには、ここに泊まるのがおすすめです。
この辺りは多少飲食店があり、江戸かろ48里目の四泊の一里塚跡がありました。
中山道をさらに進み、落合橋を渡り、水明の里に着きました。
こちらには、中山道、和田宿、和田峠に関する地図があり、石碑もありました。
この先は、道祖神や馬頭観音が多くみられ、。そして、とてもめずらしいミミズの碑があります。この地域ではミミズが大切にされてきたようです。
その先に三千僧接待碑がありました。
そこを過ぎ、馬頭観音を見つつ進むと東餅屋に進むと標識がありながらその先に閉ざされた地下道跡がありました。昔、小学生の通学用に利用されていたそうです。現在は、使われてないそうです。
そのすぐ先に大井信定父子が埋葬されている若宮八幡宮がありました。
さらに進むと、江戸から49里目の上組の一里塚跡がありました。
中山道を進み、江戸中期につくられたと推定される八幡社本殿がありました。ここは、拝殿と覆屋を併合した入母屋造りの珍しい建物だそうです。
その後、菩薩寺がありここを過ぎると、和田宿に入りました。
人力のサイトによると和田宿は、本陣1軒、脇本陣2軒、旅籠28件であり、ここは、中山道最大の難所『和田峠』の手前にあり、参勤交代の大名も必ず宿泊した宿場だそうです。
最初に旅籠のかわちや、本陣、脇本陣、高札場跡がありました。
その後、しばらく歩き、江戸から50里目の鍛治足一里塚がありました。
この後は、和田峠を越え下諏訪宿までの約20キロの道のりです、さらに中山道進み、事前に調べておいた杉の屋でランチをしました。
ドライブインのような食事処です。途中、こちらと手前にあったおそばやさんがランチの候補でしたがお腹も空いておりこちらにしました。
中は、ストーブが既に準備され冬の準備万端といった感じです。
事前の口コミでカツ丼が良さそうでしたがメニュー見ると和、洋、中華、パスタやイタリアンまであり、一瞬迷いましたが、カツ丼にしました。
セルフサービスですがひきたてのコーヒーかあり飲みながら待ちました。
カツ丼は肉厚でボリューム満点でジューシーでとても美味しかったです。
お腹いっぱいになり中山道ウォーク再開です。
長い上りの142号の道をしばらく進み、右に入り進むと茶屋本陣跡、再び142号に合流しすぐに江戸から51里目の唐沢一里塚がありました。
本日は、東餅屋までの予定で本日泊まる民宿みやに送迎をお願いしており、唐沢の一里塚で電話するように言われてました。ここで電話し2時間後の16時から16時15分に東餅屋のドライブイン跡ということになりました。
さらにしばらく上りの道を歩くと男女倉口のバス停がありました。その先の橋の手前を左に入ると和田峠の入り口です。
ここからは、熊が出ることもあるらしくクマ鈴をバックに付け、また、これから登りなのでストックを持ち進むことにしました。
まず、登り始めると三十三体観音がありました。
その後、公道に出ると江戸時代に旅人をもてなすために作られた永代人馬施行所跡かありました。
また、そのすぐ横に明治時代にこの近くで殉職した近藤谷一郎警察官の碑がありました。
その後、江戸から52里目の広原一里塚がありました。
少し進むと今日の終電東餅屋に着きました。
ドライブインがあった場所で、廃墟になってました。
15時20分に着いたので、50分ほどここで待ち、民宿みやの方が迎えに来てくれました。
本日は、今日来た道を戻る形で民宿に向かいました。民宿は、トイレ、お風呂共同ですがとてもきれいで気持ちよくまた、リラックスできました。
また、料理も美味しく特に地場の野菜は、最高でした。
翌日は、6時30分朝食、7時15分に出発とのことで疲れてもいて早く就寝し明日に備えました。