前回は、雪が降る季節前に和田峠を越えようと12月に和田峠を越え下諏訪駅まで来ました。冬も終わり4か月ぶり中山道ウォーク再開です。
朝、新宿駅で人身事故ごあり、10分遅れてJR立川駅よりあずさ1号で上諏訪駅まで乗り、在来線に乗り換え前回終了のJR下諏訪駅に来ました。
駅でストレッチをして、こちらのガイドブック片手にウォーク開始です。
下諏訪駅前の道を歩き、下諏訪駅前の信号で左に曲がり中山道スタートです。
すぐに左の細い道に入り、維新政府軍の先駆けとして活躍し、汚名を着せらせこの地で亡くなった相楽総三を祀った魁塚、その後春宮の大灯篭がありました。
下諏訪宿を出てしばらく道なりに進むと、平福寺、江戸から56番目の東堀の一里塚、道祖神もありました。
さらに進み大橋を渡り、今井番所跡、茶屋本陣跡(今井家)、明治天皇今井御小休所がありました。
岡谷インターチェンジを見つつ進むと、石船観音、その後、難所の、塩尻峠に入りました。
大石を過ぎ急坂を上り塩尻峠の頂上に到着しました。思ったよりしんどかったです。そこには明治天皇塩尻峠野立所、諏訪湖が上から見えました。
すぐに下りとなり、休憩するための茶屋本陣跡、東山一里塚、犬飼の清水、牛馬安全の守護神がありました。
その後。みどり湖のパーキングエリアを横目に長野自動車道を超え柿沢橋跨道橋を渡りました。馬頭観世音、道祖神も多くあり、高札場を過ぎ、江戸から五十八里目の柿沢一里塚がありました。
さらに進み、四沢川を渡ると、次の宿場塩尻宿の入口の道標がありました。
塩尻宿に入るとすぐに塩尻口留番所跡、十王堂跡、小野家住宅跡、飛脚問屋跡の石柱、上問屋跡の石柱、明治天皇鹽尻行在所、高札場跡・下問屋跡と続きます。
そして川上家本陣跡、脇本陣跡、陣屋跡の石柱がありました。
人力サイトによると
塩尻宿は、本陣1軒、脇本陣1軒、旅籠75軒と中山道では旅籠が2番目に多かった。
ここは、北国西往環(善光寺道)と三州街道、中山道が交差しているため、交通の要衝として賑わっていた。
ほぼ直角に曲がっていることを意味する鉤の手の跡を県道から右へ曲がります。
阿礼神社を右手に進み、堀内家住宅、石碑群のところで再度県道を横切りました。
塩尻橋のところで再度県道に合流します。
大門神社を過ぎ、ここで塩尻駅の方へ中山道をそれ5分程歩き、カフェを見つけランチにしました。
今回は食事する店が中々見つからず苦慮しました。峠を超え、休まず歩いたのでしばしの休憩です。
中山道に戻り、しばらく歩くと江戸から59里目の平出一里塚がありました。両側に一里塚の姿が残ってました。すぐ近くに縄文の平出遺跡があります。
中央本線を横切り、さらに進み、左に曲がり国道19号に合流し、洗馬郵便局を過ぎ、細川幽斎が句を読んだ肱懸松がありました。大きくはないですが立派な松でした。
その後、中山道と善光寺道とのわかされの追分道標があり、洗馬宿に入ります。
人力サイトによると洗馬宿は、
慶長19年(1614)、中山道が牛首峠越えから塩尻峠越えに変更になったとき、中山道と北国脇往還(善光寺街道)との分岐の宿場として新設された。南北の出入り口は鉤型になっており、また宿内は湾曲して造られている。
本陣跡、脇本陣跡がありました。
今回は日出塩駅まで行きたかったのですが、予定していた中央線の普通列車に乗れない可能性もあったので、一つ前に洗馬駅から帰ることとしました。