今日は、中山道ウォーク八回目で東京駅7時23分の新幹線あさまで軽井沢駅にきました。
駅で軽くストレッチをして、前回の終点の六本辻の交差点に移動しました。
中山道ウォークをいつも通りこの中山道のガイドブック片手に開始です。
しばらく歩き、石塔群、旧近衛文麿別荘(市村記念館)、その後、軽井沢中学前の信号を国道を左に曲がり、踏切を渡り、すぐに右に曲がり進みます。
前沢橋付近で、浅間山をきれいに見ることができました。
中山道は、この先でルートが変更になったようで、現在の中山道をこの先100m左に曲がった所に宮の前一里塚跡の碑がありました。
その後、長倉神社のところで沓掛宿に入ります。
長倉神社に立ち寄りました。
相撲の土俵がありました。こちらは、盛んな土地柄なのでしょうか。
人力サイトによると沓掛宿は、下記のように記載されてます。
両隣の軽井沢宿、追分宿の賑わいに比べ、あまり大きな宿場ではなかった。天明3年(1783)の浅間山の大噴火により壊滅的な被害を受けた。また、1951年の大火で町の殆どを焼失、往時の様子を伝えるものは殆ど残っていない。現在は中軽井沢と名を変え、主に避暑地として利用されている。
八十二銀行の駐車場の奥に脇本陣蔦屋跡の碑が、通り沿いに土屋本陣がありました。
下仁田道との合流地を過ぎ、遠近宮(おちこちぐう)がありました。
さらに黄壁布屋、馬頭漢音を進み、追分の一里塚がありました。今でも現存する一里塚でした。
ここを過ぎ、国道を左に入ると追分宿になりました。入り口を示す常夜燈がありました。
人力サイトによると下記の記載がありました。
追分宿は4.7㎞と短いが、本陣1軒、脇本陣2軒、旅籠35軒があった。また、旅籠35軒に250人の飯盛女がいたため、追分節につぎのように唄われた。
その後、泉洞禅寺に立ち寄りました。紅葉がきれいです。
宿の京側の入り口の枡形の茶屋、北國街道との分去れの道標をすぎ、国道を横切り追分宿を出て、次の小田井宿へ向かいます。
しばらく歩き、御代田の一里塚がありました。
しなの鉄道をくぐり、御代田駅を越えしばらく行くと小田井宿に入ります。
人力サイトによると下記の記載がありました。
皇女和宮を始めとして、宮家や公家の姫君の休泊に利用されることが多かったことから、「姫の宿」とも呼ばれた。天保14年(1843)の調査では、家屋が109軒、319人が住んでいました。
小田井宿を出て北陸新幹線をくぐり、ラーメン屋さんを見つけ遅いランチにしました。餃子もたのみこくのある美味しいラーメンでした。
ランチの後、鵜縄沢端一里塚、その後、佐久長聖中の近くで八ヶ岳の山々がきれいに見えました。
その後、武田信玄の遺骨があると言われる龍運寺に立ち寄りました。
人力サイトによると下記の記載がありました。
岩村田宿には、本陣や脇本陣が無く、旅籠が8軒と小さな宿で、宿駅としてよりも交通の要衝、米穀の集積地として栄えた街である。
セブンイレブンを右に曲がり相生の松を過ぎ浅間総合病院の信号で今日は、終了しました。
こちらから、JR佐久平駅まで15分程歩き、新幹線で帰途に着きました。