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中山道69次ウォーク第四回目〈熊谷宿ー本庄宿〉2022年4月15日

昨年、6月以来の再開です。今回は、前回終了した熊谷駅からの出発です。朝、8時30分に到着し、ドトールでモーニングを食べた後、簡単に準備運動し、前回終了のセブンイレブンから出発です。

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今回もこちらの本を見ながら中山道ウォーク開始しました。

すぐに国道17号にぶつかり、左に曲がりしばらく歩くと右に高城神社、その後、三井住友銀行の先の本町1丁目の信号の辺りに本陣があったようです、

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中山道の人力のサイトによると宿場の規模は、中山道でも屈指の大きさだったものの、飯盛女が近隣の助郷村が強く反対したことにより置かれなかったことから、旅籠の数は少なかったそうです。
平安末期の武将熊谷直実にゆかりのある地としても知られています。

中山道の標識を見つつ、熊谷宿を出て、17里目の一里塚の新島一里塚がありました。

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新島一里塚を過ぎ、忍藩が他藩との境界をあきらかにした忍領石標、明治天皇御小休所跡、東方一里塚跡(見つかりませんでした。)、御嶽神社愛宕神社、ふるさとの並木道を歩き、「見返りの松」で有名な並木道を過ぎると深谷宿の入口の常夜燈がありました。

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深谷宿に入ると重要有形文化財の大谷邸、唐沢川の行人橋を渡り、左手のお店に深谷宿の中山道家並図が貼ってありしばし眺めました。

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その先に脇本陣があったきん藤旅館再開発予定地、本陣跡がありました。

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人力のサイトによると深谷宿は、現代の物静かな中心商店街の景観の中にあっても、蔵造りの町屋や重厚な観音開きの開閉窓を持つ商家、太い木枠の看板を掲げる商店などが点在しており、深谷の町の往時を十分に感じさせます。深谷の町にはまた造り酒屋が複数立地しているのも特徴的です。それぞれに酒蔵の美しい風情や、煉瓦造りの近代的な容貌を見せておりまして、深谷の町の奥の深さをいっそう実感させました。旧道は田所町の呑龍院の小さなお堂の前でカーブを描き、かつての宿場町の西の端に至ったことを告げます。宿場町の東西に立地する常夜燈は1840(天保11)年の建立で、4メートルの高さは中山道筋でも最大級であるとのことで、当時の深谷宿の活気を今に伝えているようです。また、深谷渋沢栄一が誕生の地であり、深谷市ホームページには渋沢栄一に縁のある名所を訪ねるコースも紹介されています。上州は「かかあ天下と空っ風」で有名な様に、とても風が強く、岡部辺りの旧家はそのために北と西に屋敷森と呼ばれる背の高い防風林を構えています。

呑龍院を過ぎ深谷宿の西の出口の常夜燈がありました。

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深谷宿をでて、竜宮神社のところて、「辻久」というお蕎麦屋さんの看板を見つけ13時近くにもなりランチにしました。

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店に行くと並んでいてかなり盛況でした。名前を書き待つことにしました。

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しばらくすると中に通されました。ランチがお得なようで揚げたてのトンカツに惹かれて遊ぜんにしました。

出てきたものを見ると普通のトンカツ定食に一人前のそばが付いた感じです。食して見ると、サクサクのトンカツ、腰のあるそばでこれで税込1,100円は、大変お得でした。

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お腹もいっぱいになり、午後の中山道ウォーク開始です。

 

十二夜塔、源勝院、晋済寺、芭蕉句碑、、耕地整理記念碑としばらく進むと、榛沢郡の鎮守の島護産泰神社がありました。

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さらに、全晶寺、馬頭観音中山道の標識かあり確認しながら進みます。

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坂を下ると百庚申、道を横切り川が見えてきて、滝岡橋を渡ります。

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ここを過ぎると少し道が分かりにくいです。しばらく進むと八幡大神社、實珠寺、子育地蔵尊を過ぎると、傍示堂がありました。ここはかつて武州上州の境で、立場としてとても賑わっていたようです。

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新泉橋わ渡り、セブンイレブンの先から御堂坂を上り、本庄宿に入ります。

大正院、りそな銀行の辺りに本陣が、東和銀行足利銀行の辺りに脇本陣があったようです。

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人力のサイトによると今は、面影ないですが、武蔵国最後の宿場である本庄宿。本陣2軒、脇本陣2軒、旅籠70軒と中山道でも最大の規模の宿場でありました。
ここが最大規模の宿場であった理由は、利根川の水運の集積地であったということが大きいようです。
また、宿場町として規模が大きかった為、大きな火災もあったため、当時の面影を残す建物が少ない。

本庄宿を出ると、しばらくは県道392号線を進みます。金窪八幡神社を過ぎ、浅間古墳を通り今日は、JR神保原駅までにすることにしました。

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県道(中山道)を左に曲がり駅に向かいます。大きな木が目印です。

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ここから7分ほど歩き駅に着きました。駅の構内には七福神がありました。

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電車が来る前にストレッチをして帰宅しました。筋肉痛が酷いです。




 

 

 

 

 






 
















 



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その後は、高崎線の踏切を横切り熊谷宿に入りました。今日は、ここで終了にし、JR熊谷駅から帰ることにしました。