前回、下諏訪から洗馬まで中山道ウォークをしたのが4月でその後バタバタしていたのと予定した日が2回天候に恵まれず延期したため6ヶ月ぶりになってしまいました。
当初、塩尻か、洗馬までJRで行こうと予定してましたが、塩尻駅からコミュニティーバスで行くと前回の最終地点の洗馬宿高札場跡の目前にバス停があることを知り、バスて行くことにしました。
あずさの指定がかなり埋まっていて、予定より少々早い時間のあずさで塩尻に向かいました。塩尻には、10時過ぎに着き、駅前でバスを待つことにしました。
30分ほど待ち、バスに乗りました。このコミュニティーバス一律100円でコストの面でも節約でぎました。乗客は、家内と私の二人だけで塩尻駅を出発し、途中から一人乗せただけなので実情は、かなりの赤字かと思います。
20分ほどで高札場のある公園のバス停に到着しました。
こちらのガイドブックを片手にここから中山道ウォーク開始です。
すぐにJRのガードをくぐると瀧神社があり、その後は、洗馬宿を出て、本山宿へ向かいます。本山宿までは、3キロちょっとの短い道のりです。まず、江戸より六十里目の牧野の一里塚がありました。
平坦な道を進むと本山宿に入りました。
すぐに石造文化財群がありました。
本山宿は、そば切り発祥の地ということで、あまり歩いていないのですが、こちらでそばを食すこにしました。
こちらは、そば切り発祥の地ということですがおみせは、一軒しかなく、「本山そぼの里」という店で周りには、全くひとけもなかったのですが、その店の駐車場は、満車で中に入るとほぼ満席でどうにかカウンターの席に座ることがでぎました。
メニューを見て、そばの味を楽しもうとせいろの重ね(二段)そば、天ぷら(季節の野菜盛り合わせ)そしておにぎり(古代米)を注文しました。
先にお茶とともに漬け物が運ばれてきました。
漬け物をつまみながら待つとおにぎり(古代米)、その後そばと天ぷらが来ました。
そばは、こしもありしっかりとしていて喉ごし良くとても美味しかったです。野菜の天ぷらもサクサクでした、
お腹も満たし、本山宿を進みます。人力のサイトによると、
本山宿は洗馬宿からの距離は短いが、本陣1軒、脇本陣1軒、旅籠34軒と賑わっていた。
とくに民家は、当時の旅籠の姿をそのまま残していて、とても見事な造りがわかる。
と書かれてました。確かに当時の面影のある家並みが続き、下問屋跡、川口屋、本陣、若松屋と当時を偲ばせます。
高札場を過ぎ、国道に合流すると本山宿から出ます。
本山宿から出て進むと、江戸から六十一里目の日出塩一里塚、また、中部北陸自然歩道と同じ道を歩き木曽に入ります。
鶯着禅寺を過ぎ、若神子の一里塚を見ながら進み贄川宿に入りました。
関所跡があり、本陣跡、深澤屋住宅がありました。
人力のサイトによると
江戸から来た場合に、木曽の入口に当たる宿場。本陣1軒、脇本陣1軒、旅籠25軒と、中山道では平均的な宿場であった。そうです。
贄川宿を出てしばらく進むと、江戸から六十三里目の一里塚、押込の一里塚跡、うるしの里の木曽平沢、中山道から小さい橋を渡ったあたりに橋戸一里塚の看板がありました。(一度渡って戻りました。)
奈良井川橋を渡り、しばらく歩くとJR奈良井駅に着きました。予定では、ここで電車で塩尻経由で村井駅まで行き宿泊する予定ですが、まだ、時間があったので奈良井宿を少し進むことにしました。
まずは、奈良井宿の地図を見ました。
すへて見るには、時間がなさそうです。少し進むことにしました。専念寺を右手にみて、立派な水飲場がありました。木曽の美味しい水でしょうか?
大宝寺があり、昔ながらの街並みが残ってました。
今も民宿として泊まれる伊勢屋がありました。
ここは、中山道でも屈指の見どころで、宿場の風情を良く残していました。
人力のサイトによると
古くは東山道、又戦国時代には武田氏が定めた宿駅である。木曽11宿の中でも標高940mと高い位置にあり、曽谷最大難所鳥居峠(標高1197m) を控え、大層賑わい「奈良井千軒」と称されたという。火災は多発しており、寛永8年(1631)から文久2年(1862)まで、記録に表れているだけで21件を数えている。町並みは天保年間の建物が多数残っており、狭い道の両側に長い軒先を突き出した家、二階が一階より1尺5寸(45cm)せり出した出梁造り、一階と二階の境に取り付けらた小さな屋根(鎧庇、猿頭)、くぐり戸、蔀戸、千本格子の町並みが続く。昭和53年、国の重要伝統的建造物群保存地区に指定されており、地区を上げて町並み保存に尽力している。とのことです。
電車の時間もあり鍵の手の水飲み場で終了し、駅に戻りました。