7月の第10回の後、8月は、真夏のためなかったのですが、9月から、阪急交通社さん主催の東海道53次ウォーク再開され第十一回目に参加しました。下記のガイドブックも持参し参加しました。
今回も前回同様、7時30分に横浜駅で集合し、パスにて箱根峠に向かいました。前回までは、途中、パーキングエリアでトイレ休憩したので、朝食取らず、パーキングエリアでドリンクとともに購入しようとしたのですが、何もお知らせなく箱根峠まで直に行きました。阪急の人に聞いたところ道が、空いていて渋滞する前に行けそうだっため、今回は、寄らなかったとのことでした。止むをえず、朝食は、取れませんでしたが、箱根峠のパーキングの近くの自販機でドリンクのみ購入しました。
今回は、箱根峠から三島宿の手前の三島塚原にある伊豆フルーツパークまで11キロほど歩きます。
出発は、箱根峠の駐車場で私達は、ここで準備運動後、スタートしました。
スタート時、少々霧がかかってましたが、ウォークには、ちょうどいい気候です。今日の行程は、ほぼ下りということで、しばらく歩くと旧道に入り、八ツ手観音、箱根八里記念碑、井上靖の碑があります。
その後、兜石坂を下り、豊臣秀吉が、小田原城を攻める時、兜を置き一息したという岩があった「兜石跡」があります。この石は、後ほど通りますが、旧道沿いに移設されました。
その後、一旦、一般道に合流し、少し歩き再び旧道に入ったところに接待茶屋跡、史跡箱根旧街道碑、一里塚跡、移設された「兜石」、将軍吉宗が休憩した徳川有徳公遺蹟碑、明治天皇が休んだ明治天皇御小休趾碑とありました。
しばらく旧道を歩くと国道1号に入り、三島市に入ります。三島市の看板を過ぎ、再び旧道に入り、次は、雲助徳利の墓です。雲助の指南役の墓といわれか、酒を愛した事で徳利と杯か常におかれます。
その後、一般道に合流し、北條方と豊臣方の両方の墓があり、隠れキリシタンの墓がある宗閑寺を通り、日本100名城の山中城址に着きました。北條氏康により築城されましたが、豊臣秀吉の攻撃により半日で落城しました。こちらで昼食です。今日の弁当は、静岡のシラスやかき揚げ等もあり、今までの中でレベルの高いものでした。
食後にトイレに行くと、この洗面台では、犬を洗ったり洗濯物をしないで下さい。と表記がありました。ここで犬を洗う人がいるのでしょうか。
午後の出発まで山中城址を散策しました。石を使っていない山城ということで、いろいろな堀があり、また、三島市と駿河湾がとてもきれいでした。
午後は、司馬遼太郎の箱根八里記念碑の前から出発です。
石畳を少々歩き、車道に合流し、その後国道1号に戻ります。国道1号からの景色も山中城址からの景色同様とてもきれいでした。遠目に松尾芭蕉の碑を見て再び石畳の旧道を歩くと日本一長い歩行者専用吊り橋の三島スカイウォークが見えてきました。渡るのに1,000円かかるそうで、すぐ前を通りましたが立ち寄らず、27番目の笹原一里塚と大岡信の箱根八里記念碑に向かいました。その近くに変わった色の椎茸がありパチリと写真を撮りましたが食べれるそうです。
この後は、40度の下り坂(逆は大変です。)を下り、松雲寺で住職より話を聞きました。このお寺は、天皇、朝鮮使節、大名等の休憩施設としても使用されました。明治天皇も東海道の行幸の途中休まれ、こちらからの景色がすばらしく、明治天皇も景色を見ながら休まれたそうです。
しばらく歩き、法善寺旧址碑、その前にとてもお洒落なつくりの坂小学校があります。その後は、地獄信仰の六道を表す六地蔵に着きました。
臼転坂を下り、馬頭観音、普門庵、宗福寺を通り今日の終点、塚原新田の伊豆フルーツパークに着きました。
帰りのバスは渋滞にぶつかり、途中海老名のサービスエリアで休憩後、三時間近くかかり横浜に到着しました。
今日のスタンプは、三島宿には、着く前にですが、押してもらいました。