虎キチのお城グルメ旅巡り

タイガースファンの気まぐれ城グルメ旅巡り

東海道53次ウォーク第十五回目〈JR興津駅ー西郷・山岡会見碑〉2018年12月24日


今回も下記のガイドブックを片手に前回の終了地点のJR興津駅から家内と歩くことにしました。

 

books.rakuten.co.jp


 

 今回は、青春18切符の使える期間なので購入し、JR興津駅に前回より30分ほど早い時間の電車に乗り、9時30分頃に着きました。駅の改札から出る前にトイレに寄り、改札を出ようとしたところ無人でした。駅員に連絡がとれる電話があり、青春18切符で外に出たいこと電話をしたところそのまま出てくださいと言われました。駅の前で軽く準備運動をし出発です。

f:id:Tigers1223:20181226193900j:image

前回は一里塚跡から東海道を少々歩き、右に入りJR興津駅から帰りましたので、今日は駅前から少々歩き右に入り、東海道を歩きます。駅は興津宿にあるのですぐに東本陣跡、脇本陣跡水口屋跡、西本陣跡がありました。

f:id:Tigers1223:20181227123020j:image
f:id:Tigers1223:20181227123025j:image
f:id:Tigers1223:20181227123028j:image

興津宿は、身延道との分岐地点で、平安時代には関所が設けられたそうです。

f:id:Tigers1223:20181227123117j:image
f:id:Tigers1223:20181227123109j:image
f:id:Tigers1223:20181227123113j:image

その後歩くと、清見寺があり徳川家ゆかりの寺で三葉葵の紋を許され江戸時代260年の間、二百余石の朱印地を有し徳川一門の帰依を受けるところとなったそうです。東海道線の踏切を渡り階段を上っていくと清見寺の本堂があります。こちらで家内は御朱印をいただきました。

f:id:Tigers1223:20181227123201j:image
f:id:Tigers1223:20181227123153j:image
f:id:Tigers1223:20181227123157j:image
清見寺のすぐ先には坐漁荘跡があります。ここは、明治から昭和に活躍した政治家の西園寺公望公の老後の静養の家でした。

f:id:Tigers1223:20181230142434j:image
f:id:Tigers1223:20181230142430j:image
坐漁荘跡を出ると興津宿から江尻宿へ向け歩きます。東光寺を過ぎ、さらに進むと細井の松原がありました松が200本以上当時はあったそうです。

f:id:Tigers1223:20181230142501j:image
f:id:Tigers1223:20181230142451j:image
f:id:Tigers1223:20181230142456j:image
f:id:Tigers1223:20181230142508j:image
その後は、辻の一里塚ですが、ガイドブックの地図の場所に着いてもグーグルで探しても見つからず、この辺りを30分以上徘徊しました。最後はこの近くで井戸端会議をしていた年配の女性に尋ねたところ、指をさし(写真のあたり)ここに一里塚があって看板も随分前にあったけどいつのまにかなくなったと教えてくれました。行かれる方は看板も何もないので気を付けてください。

f:id:Tigers1223:20181230142528j:image

昼ご飯は頑張って草薙あたりでと思ったのですが、江尻宿東端の東木戸跡のあたりで清水ですのでまぐろでも食べようとグーグルで「近く ランチ」と検索しました。すると港の市場までも歩いて10分ほどで行けることがわかったので行くことにしました。

f:id:Tigers1223:20181230142547j:image

お店は、魚市場のすぐ入り口近くのみやもと河岸の市店で赤身&中トロの生本鮪丼(1,500円)と桜えびのかき揚げをいただきました。新鮮な鮪とカリカリの風味がある桜えびでとても美味しかったです。


f:id:Tigers1223:20181230142608j:image
f:id:Tigers1223:20181230142619j:image
f:id:Tigers1223:20181230143918j:image
f:id:Tigers1223:20181230143936j:image

5分超歩きまた、東海道に戻りました。すぐに本陣跡があります。江尻宿は江戸時代には、本陣2軒、脇本陣3軒、旅籠50軒と、駿河では「府中」に次ぐ2番目の規模の宿場であったそうです。

f:id:Tigers1223:20181230142641j:image
f:id:Tigers1223:20181230142644j:image
f:id:Tigers1223:20181230142648j:image

稚児橋を渡り、江尻宿木戸跡を通り、草薙方面へ東海道を歩きます。

f:id:Tigers1223:20181230142710j:image

追分道標、静岡名物の追分羊羹、都田吉兵衛供養塔(清水次郎長は子分の森の石松の恨みを晴らすために、都田吉兵衛をここで討った)がとありました。

f:id:Tigers1223:20181230142714j:image
f:id:Tigers1223:20181230142742j:image

f:id:Tigers1223:20181230153731j:image

その後、ファミリーマートでトイレ休憩し、久能寺観音道道標、東海道本線の下をくぐり、狐ヶ崎駅の前を通り上原延命子安地蔵に着きました。徳川家康武田勝頼を攻めるに先立ち、武田の宿将で江尻城主の穴山梅雪と、この地蔵堂で会見し、その結果梅雪は家康に寝返り、武田氏滅亡のきっかけとなったというエピソードがあります。

f:id:Tigers1223:20181230153759j:image
f:id:Tigers1223:20181230153804j:image
f:id:Tigers1223:20181230153809j:image

 

県道407号を歩き右手の清水銀行草薙支店のところに日本橋から四十三里目の草薙の一里塚跡がありました。

f:id:Tigers1223:20181230153843j:image

その後、草薙駅の横に日本武尊を祭神とする草薙神社の大鳥居がありました。

f:id:Tigers1223:20181230153907j:image

草薙神社はここからしばらく歩くので寄らずさらに進みました。ほぼ静岡鉄道と並行して歩き、東名高速の下をくぐり、東海道本線、新幹線を横切るために車も通っている狭い地下道をもぐりました。ここは、東海道線が、旧東海道を分断したこともあり碑がありました。

f:id:Tigers1223:20181230154023j:image

流通センターを歩き国道1号線とぶつかるところで駿河三大名物の兎餅の跡地(他は安倍川餅、追分羊羹)がありました。長沼の交差点ですぐに国道1号を外れ、日本橋から四十四里目の長沼の一里塚跡がありました。

f:id:Tigers1223:20181230154204j:image

 

その後、殉国の怨霊を祀る静岡縣護国神社御朱印をいただくために立ち寄りました。

f:id:Tigers1223:20181230154225j:image
f:id:Tigers1223:20181230154230j:image

柚木駅の前から東海道新幹線東海道本線をくぐり、曲金観音堂を通り再びくぐり、府中宿の入口横田見付がありました。府中宿は、東海道で大津宿に次いで2番目に人口が多く駿府城がある城下町でした。

f:id:Tigers1223:20181230154305j:image
f:id:Tigers1223:20181230154257j:image
f:id:Tigers1223:20181230154301j:image

f:id:Tigers1223:20181230154413j:image

府中宿に入り、徳川家康の祖母源応尼(華陽院)の菩提寺として知られている浄土宗京都智恩院の末寺の華陽院に寄りました。

f:id:Tigers1223:20181230154438j:image
f:id:Tigers1223:20181230154434j:image

下伝馬本陣本陣脇本陣跡、上伝馬本陣脇本陣跡を通り静岡駅近くの西郷・山岡会見碑に着きました。

f:id:Tigers1223:20181230154508j:image
f:id:Tigers1223:20181230154502j:image

ここは、1868(慶長4)年、西郷隆盛勝海舟からの書簡を携えた山岡鉄舟が、江戸城開場についての下交渉を行ったとされた場所です。

f:id:Tigers1223:20181230154527j:image

ここで簡単にストレッチをして今日は、JR静岡駅から帰ることにしました。帰りは、熱海、小田原とで東海道線を乗り継ぎ帰りました。