① 日時 2022年11月18日
② 場所 伊予鉄道 松山市駅から徒歩10分・JR松山駅から徒歩15分
〒790-0008 愛媛県松山市丸之内1
③ コメント
日本100名城の81番です。
昨日、大州城と湯築城を周り松山で宿泊し、朝、松山城に来ました。過去、何度か来たことありますが、100名城を周り始めスタンプも欲しいので来ることにしました。ロープウェイで行くことにしたのでロープウェイ乗り場に向かいました。
ロープウェイ乗り場の階段を登ると鯱がありました。
ロープウェイは、10分毎のようで、行ったばかりで列の一番前になりました。
ロープウェイを降り、案内図と松山城のいざないという説明を見ました。
階段をゆっくり登り、石垣を見ました。大きく立派な石垣です。
待合番所跡、戸無門、隠門、続櫓と続きます。
別名で勝山城又は、金亀城と呼ばれていたそうです。
太鼓門をくぐり、広場が絶好の撮影スポットでした。
玉薬土蔵跡を過ぎ、松山の景色を見つつ本丸に到着しました。
ここで入城料を支払い、また、100名城のスタンプを押して中に入りました。
天守閣が目の前です。
中に進み、重要文化財の柴竹門東塀、ニノ門をくぐり、本壇配置図を見ました。
玄関多聞櫓があり加藤嘉明と歴史の記載がありました。
南隅櫓を見て、天守閣から瀬戸内海、松山の街の写真を撮りました。
天守閣を出ると天神櫓がありました。
来た道を戻り、ロープウェイで下山しました。
以下、攻城団の松山城のHPからの引用です。
松山城は「賤ヶ岳の七本槍」のひとり、加藤嘉明が、「関ケ原の戦い」での戦功で加増されたことにともない、あらたに築いた城です。
もともとは「勝山」と呼ばれていた地名は、1603年(慶長8年)10月に「松山」と改称されました。
城の完成には26年という長い年月がかかっており、嘉明自身は完成直前に会津に転封となったため、完成させたのは後任の蒲生忠知でした。
築城当初は5重の連立式望楼型天守でしたが、維持費がかかることから蒲生家のあとに入封した松平定行によって3重に改築されました。しかしその天守は落雷で焼失したため、現存する天守はその後に再建されたものです。
(改築を含めると3代目の天守)
④ スタンプの場所