本日、阪急交通社さん主催の東海道53次ウォーク第八回目に参加しました。今回も下記の本で予習の上、今回参加しました。
【現地集合解散プラン】(全27回)第8回 東海道五十三次街道あるき 日帰り(31508G)|阪急交通社
今回は、9時30分に二宮駅で集合後、準備運動して出発です。
今回は、小田原城まで約12キロ歩きます。駅のロータリーを出て、すぐに右に曲がり東海道(国道1号)に合流です。しばらく歩き、吾妻神社の鳥居の所を左に入り旧道です。地元の醤油の蔵元のヤマニ醤油、小沢寺、藤巻寺を左に歩き、再度、国道に合流の所に道祖神がありました。
国道に再度合流後、江戸から十八里目の二宮の一里塚があり、その後は、松屋本陣です。松屋本陣は、大磯宿から小田原宿までが18キロと長い上、酒匂川が氾濫した時に渡れなかったため間の宿として設けられ、和田家によって勤められました。
国道をさらに歩き、押切橋を渡り、源実朝、太田道灌、阿仏尼が車坂で詠んだ歌を紹介している車坂碑、西からの大山への参詣道の大山道道標を通り、国府津駅でトイレ休憩となりました。
トイレ休憩後、20分程国道を歩き、左に少々入り、お弁当とお茶を渡されました。高速の下を海の方への歩き、狭い階段を上がると西湘バイパスのパーキングエリアがありました。ここでお昼です。前回の阪急さんが用意した弁当がイマイチでしたので心配したのですが、今回は、海老の天ぷら、焼しゃけ 、鶏肉がご飯の上にのりとてもボリュームがありました。また、ここのパーキングからの景色も最高でした。
昼食の後、小八幡一里塚、旧川辺本陣跡を通り、しばらく歩き、酒匂川を渡る前に一旦右に入り、酒匂川渡し碑に立ち寄りました。酒匂川もまた、橋が江戸時代にはなく、水深が胸あたりになると川留めとなったそうです。
酒匂川の橋を渡り、細い道を左に入り、八幡神社で小休憩しました。その後、国道を横切り鎌倉時代後期から室町時代の武将、新田義貞の首塚に来ました。越前の藤島で討ち死にした新田義貞の首を家臣がここで病死し、義貞の首を一緒に埋葬したと言われます。
東海道に戻り、しばらく歩き、また右に入り、北条氏康の死を老狐の祟りとして創建された北条稲荷と蛙石に来ました。
し
この後、東海道に戻り、小田原宿の入り口の江戸口見附、その隣が一里塚です。
東海道沿いには、かまぼこ通りがあり、その中で一番大きい丸うさんに立ち寄りました。かまぼこの他、いかの塩辛が美味しいということで塩辛も買いました。
その後、清水金左衛門本陣跡でガイドさんの説明です。小田原宿は、箱根の、山越えを控え、神奈川県内最大の宿で、本陣、脇本陣ともに4軒、旅籠は、95軒を数えたそうです。
その後は、本日の終点、小田原城で再度、ガイドさんよりお話を聞きました。北条早雲の築城で、江戸から最初の城下町で江戸時代には、老中直下で管轄されていたそうです。今日は、ガイドさんのお話の後、小田原城の馬屋曲輪で体操し終了でした。
今日のスタンプは、小田原宿を押してもらいました。