前回は、鳴海宿の入口で終了し、名鉄鳴海駅から帰途に着きました。前回は、6月でしたので、暑い夏を避けたため、3か月ぶりでの東海道ウォークになります。エクスプレス予約を利用し、新横浜7時29分ののぞみで名古屋に行き、名鉄に乗り換え鳴海に来ました。
前回は、枡形があったあたりの接骨院で終了し、今回もこちらのガイドブック片手にスタートです。
ちゃんと歩ける 東海道五十三次 「西」 袋井宿~京三条大橋 (地図)
- 作者: 八木牧夫,五街道ウォーク事務局
- 出版社/メーカー: 山と渓谷社
- 発売日: 2013/04/25
- メディア: 文庫
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鳴海宿には、本陣1軒、脇本陣2軒、旅籠68軒、宿の東と西に常夜灯が両方残されており、約1.5㎞の宿場町だったそうです。接骨院の先を左に曲がり、名古屋市緑生涯学習センターがあり、ここに問屋場がありました。
その先の信号を右に曲がると復元された高札場と鳴海城址がありました。鳴海城址は、現在、天神社になってます。
鳴海城(別名:根古屋城)で1394~1428年に安原宗範が築城したもので、1560年(永禄3年)の桶狭間の戦いでは、今川義元軍の武将岡部元信が、この城で織田軍と戦い、その後、織田信長の手に渡り1590年に廃城となりました。
その後、本陣跡、また、問屋場と記された居酒屋がありました。
その後、左に曲がり、鳴海宿の西口にあたる常夜燈があり、鉾ノ木貝塚と千鳥塚とあります。
さらに進みしばらく歩くと、江戸から88里目の笠寺一里塚が片側(東塚)にあります。
その後、織田と今川で信長の兄の信広と幼少の家康竹千代との人質交換が行われた笠覆寺があります。笠寺観音とも呼ばれてます。家内は、こちらで御朱印をいただきました。
ここを過ぎしばらく歩くと、誓願寺等多くの寺がありました。
その後、江戸から89里目の一里塚の伝馬町の一里塚(標識は、見つかりませんでしたがあったあたり写真撮りました。)、すぐ近くに裁断橋跡がありました。
ここを過ぎると、次の宿場宮宿になります。
宮宿は、熱田神宮の門前町として整備された宿場町である。門前町として多くの参拝客を集めた一方、桑名宿への船渡し場として、また徳川御三家の尾張徳川家の御城下・名古屋の表口として栄えた。その繁栄ぶりは東海道随一とも謳われたほどでした。その後、ひつまぶしで有名な、蓬莱軒の本店があり、その時は、11時15分位でしたが、13時10分に予約できるということで予約し、七里の渡しに行きました。11月にクラウドファンディングの仕組で桑名まで舟で行く予定ですが、徒歩でも桑名まで行くことにしました。その前に、脇本陣跡、熱田荘があり、蓬莱軒の駐車場には、本陣跡がありました。
時間もありますし、熱田神宮に行きました。熱田神宮は、広大な敷地の中にあり、家内は、こちらで御朱印をいただきました。信長が、桶狭間の前にここに立ち寄りお参りし、戦いに向かった神宮でもあります。
13時前に蓬莱軒に戻り、しばらくすると中に通され、ひつまぶし、肝吸いそして暑かったので思わすビールをたのんでしまいました。ひつまぶしは、そのまま食べる、薬味をのせる、薬味をのせだしをかける3つの食べ方があります。どれもとても美味しいのですが、薬味をのせて、食べるのが一番美味しかったです。
この後は、旧東海道は桑名までないので一般道で桑名の七里の渡しに歩きます。NAVITIME で検索して、行くことにしましたが、これが後述しますが、異なる七里の渡しに行くことになってしまいました。宮宿の七里の渡しの先の橋を渡り、しばらく歩き千年東の信号を右に曲がり、少し歩き千年の信号を左に曲がります。その後は、県道23号の高架の前の道を右に曲がり、まっすぐ進みT字路を左に曲がりすぐに23号の高架へ上がる階段を登り、その後は、ひたすら23号沿いを歩きます。
時間も16時を過ぎ、名古屋駅行きのバスを見かけ、バス停に立ち寄り時間を確認しました。南陽町藤前というバス停で見たのは、このバス停を16時2分発でした。次のバスを見ると18時2分で、約2時間待つことになります。再びNAVITIME で、今日予約したドーミイン まで調べると徒歩8分ほどのところに藤前五丁目のバス停がありました。こちらから、バスで東海通まで、地下鉄に乗り換え栄まで行き、徒歩で本日予約したドーミイン にチェックインしました。
夜は、ホテルでお刺身サービスのクーポンがあったので、ホテルの前の居酒屋「磯笛」で、味噌カツ、エビフライ等の名古屋名物やお刺身等いただきました。
町は、ラグビーワールドカップで日本がアイルランドに勝利し賑わってましたが、明日もウォークがあるので、ホテルの温泉につかり、サウナ、水風呂にも入りホテルでのんびりしました。